【ルポ】「あるホームレスの死」 13年以上路上で生活 長崎

男性がかつて、雨風をしのぎながら暮らした橋の下=長崎市内

 昨年12月7日の朝。長崎市出島町の橋のたもとで、通行人が男性の遺体を発見し警察に通報した。亡くなったのは丸山末美さん=当時(80)=。その場所で13年以上も路上生活をしていた。右頬に大きなこぶがあり、顎ひげを蓄えていた。死因は、具体的には分かっていない。
 長崎市などで生活困窮者を支援する「長崎ホームレスを支援する会」というボランティア団体がある。2009年に設立し、会員は現在約10人。毎週木曜日の夜に困窮者に弁当を配り、対話する。丸山さんのことも支援していた。
 大学生の頃から会員として活動している記者(22)も、大学3年時に丸山さんと出会った。初対面の私にも朗らかに接してくれたのが印象に残る。
 12月28日、同会が丸山さんの葬儀を執り行った。市もみじ谷葬斎場(淵町)で火葬を終え、今年4月27日に樫原霊園(滑石4丁目)に納骨。元会長で現在事務局長を務める井手義美さん(81)が回想する。「いつもラジオを持ち歩きイヤホンで聞いていた。パチンコ店や図書館で新聞を読み、政治や災害などの社会情勢にも詳しかった」
 ただ、支援者が生活保護の申請や施設への入居を勧めても、「よかとよ」と首を縦に振らなかった。人間関係や社会とのつながりを「面倒」と感じていたのか。死亡確認にも立ち会った井手さんは、今も丸山さんの供養を続けている。
 会員の女性(84)は、丸山さんが3歳の時に父を亡くし、終戦前に大分から母方の親類を頼って長崎に来た-と本人から聞いたことがある。「朝4時に起きて長崎水辺の森公園で顔を洗い洗濯していた」「亡くなる2日前から急に寒くなり『丸山さんも寒いだろうな』と思っていた」。女性は寂しそうにそう言った。
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 丸山さんの死後、県内の路上生活者数はゼロになった(厚生労働省調べ)。丸山さんはなぜ最期までホームレス生活を続けたのか。彼の死は社会に何を問いかけているのか。

■ 困窮者、居場所の提供が鍵

 13年以上、長崎市で路上生活を続け、昨年12月に亡くなった丸山末美さん=当時(80)=。彼の死を関係者はどのように受け止めているのか。
 「長崎ホームレスを支援する会」会員の井手雄一さん(68)によると、丸山さんは寮に住み込み、電気製品工場で働くなど各地を転々。名古屋の工場で、ベルトコンベヤーで流れてくる部品をさばけず退職したのを最後に定職には就かず、路上生活を始めたようだ。「家族や交流のある友人はいない」と雄一さん。

路上で生活する丸山さんに声をかける「長崎ホームレスを支援する会」の会員。最期まで寄り添い続けた=長崎市内(2019年10月17日)

 これまで、ホームレスや生活困窮者160人以上を支援してきた同会。対象者の中には、生活保護などの支援につながり生活が安定した人もいれば、施設に入所しそこで最期を迎えた人もいる。丸山さんはどうしてそうした支援を受けられなかったのか。「丸山さんは過去に戸籍関連のトラブルがあり、『二度と行政とは話したくない』と拒んでいた」「行政関係者が彼の所へ直接行って話せば、結果は違ったんじゃないか」、雄一さんはポツリとこぼした。
 会長の池田純幸さん(67)も、丸山さんの死から困窮者支援の課題と限界を感じている。
 元諫早市職員。ケースワーカーとして多くの生活保護受給者を担当してきた。「自治体のケースワーカーが丸山さんにアウトリーチし、路上生活から抜け出す手助けをした方が良かったのではないか」と話す。
 一方でこうも語る。「困窮者に弁当を配ることは支援でもあるが、単に1食浮かし続けるのはその人の問題を見えなくしている。『ハウス』(住居や食料などの物質的支援)を提供するのは簡単だが、『ホーム』(居場所)を構築するのは難しい」。同会は果たして丸山さんの「ホーム」たり得たのだろうか。
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 路上生活を抜け出すことができれば困窮問題が解決するわけではない。支援を受けながら暮らす「元ホームレス」の人たちにも、複雑な思いがある。
 長崎市で生活保護を受給して生活する片山肇さん(76)=仮名=はかつて大手広告代理店の営業マンだった。年収が2千万円を超えたこともあったが、ボートレースなどギャンブルで3千万円以上を浪費。妻子と別れ、定年退職後は金も底をつき、路上生活へ。公園の水しか飲めなくなり、ようやく支援につながった。
 片山さんは丸山さんについてこう振り返る。「人間関係がうまくできないタイプの人だったんじゃないか。孤独になると人間関係もわずらわしくなり、路上に行くのは理解できる」
 現在、衣食住は事足りているが、「親類の葬式とか急な出費が重なると苦しくなる」「ギャンブルはしていないが、お金が入るとついつい買い物をし過ぎてしまう」「会の方々はみんな良くしてくれるが昔のプライドが邪魔をして、なかなか頼めない」と語る。

丸山さんの写真を懐かしそうに見つめる「長崎ホームレスを支援する会」の井手義美さん=長崎市内

 佐世保市出身の秋月勇二さん(43)=仮名=は、会社員時代にうつ病になり、現在は就労継続支援B型事業所に通いながら、うつ病や糖尿病、摂食障害などの治療を続ける。人とあまり接触しないドライバーの仕事に関心はあるが、社会復帰できるか不安は残る。
 「生活保護を受給しているが、今の自分の状況はホームレスと紙一重。生きづらさは変わらない」。それが秋月さんの本音だ。
 会員の神中哲朗さん(35)は「路上生活者以外にも、居場所がなかったり相談できる相手がいないなど、広い意味での『ホームレス』は県内にも多くいる。彼らが悩みを相談できる場の構築が必要だ」と訴える。
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 丸山さんの経歴を調べる過程で、路上生活になる前の住所が分かった。長崎市の斜面地に建つ古い長屋。管理人や近隣住民を訪ねて回ったが、丸山さんを知る人は誰もいなかった。
 なぜ丸山さんが最期までホームレスだったのか。本当の理由は分からない。それでも、記者も含めて、彼に関わった人たちは今も考え続けている。それが丸山さんの死に「意味」を持たせることにもなると信じて。


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