日本代表 「まさかの落選」でW杯行きを逃した8人のケース

7大会連続でワールドカップに出場する日本代表。注目のメンバー発表が11月1日に迫ってきた。

そこで今回は、過去のワールドカップにおいて招集を期待されながらもメンバー入りすることができなかった選手を振り返る。

三浦 知良(1998年大会)

日本がW杯に初出場した1998年のフランス大会。

そこで起きた衝撃のメンバー落ちは、今後も4年に一度、必ず話題となるだろう。

岡田武史監督の「外れるのはカズ、三浦カズ」。日本サッカー界を誰よりも牽引してきたカズへの無上の宣告…。

あのときW杯出場を果たしていたら、カズはこんなにも長く現役でプレーしていなかったかもしれない。

中村 俊輔(2002年大会)

記念すべき地元開催だった2002年における落選と言えば中村俊輔に他ならない。

左サイドから名波浩とのコンビでトルシエ政権中期の攻撃サッカーを支えたが、本大会が近づくにあたって徐々に出番が減少し、ついに本大会ではメンバーから離れてしまった。

しかし、この挫折がジーコジャパンにおいてエースとなった中村俊輔を作り上げたともいえる。

その後、2006年と2010年とW杯2大会に出場。44歳になった今シーズンまでプレーを続け、生けるレジェンドになった。

高原 直泰(2002年大会)

ボカからジュビロ磐田に復帰していた当時22歳の高原。

本大会が迫るなか2002年3月末に行われた欧州遠征ではポーランド戦でゴールも決めた。

だが、その帰路で悲劇に見舞われる。エコノミークラス症候群を発症し、引退の危機に瀕することに…。

その結果、エースと期待されていた地元開催のワールドカップ欠場を余儀なくされた。

4か月後に見事復帰を果たすが、2004年にも再発。オーバーエイジで参加予定だったアテネ五輪を欠場している。ただ、2006年のW杯には出場を果たした。

久保 竜彦(2006年大会)

2006年大会でのサプライズといえば、巻の選出であり、エース久保竜彦の落選であろう。

ジーコ体制で最多となる18試合11ゴール、2004年の欧州遠征ではハンガリー、チェコ、アイスランドから3試合連続ゴールを決めた久保。特にチェコ戦ではあのチェフのニアサイドをぶち破り、日本中が世界で通用するFWの登場に心躍らせた。

しかし、その日本人離れした身体能力は同時に肉体へ過度な負担となる。クラブと代表の行き来によって慢性的な腰痛・足首痛に悩まされるようになり、マリノス1年目で記録した16ゴールは、翌年、わずか19試合4ゴールに終わっていた。

それでも「エースが落選することはないだろう」、当時はそんな雰囲気だっただろうか。だが無情にもジーコの口から最後に呼ばれた名前は「マキ」。2002年大会に続いての落選となったが、確実視された中での選出外の衝撃はあまりにも大きかった。

香川 真司(2010年大会)

2008年5月、平成生まれの選手として初めて日本代表のユニフォームに袖を通した香川真司。10月に行われたUAE戦では初ゴールをあげ、日本代表史上3番目の若いスコアラーとなった(19歳206日)。

所属するセレッソ大阪でも傑出したプレーを見せており、翌年にはMFながら27得点をあげJ2の得点王にも輝いた。そうした活躍から代表入りを期待する声も多かったが、2010年大会に向けた23人のリストに香川の名前はなかった。

本大会終後、香川はドルトムントに移籍。すぐさまチームにフィットしMVP級の働きを見せ、9シーズンぶりとなるリーグ制覇の原動力となった。

これ以降、香川は日本代表の中心選手となり、背番号「10」として2014年・2018大会に出場している。

中村憲剛(2014年大会)

J屈指のプレービジョンを持つ司令塔として、川崎フロンターレにキャリアを捧げたレジェンド。

2006年の代表デビューは25歳の時と遅かったが、岡田ジャパンでは一時トップ下のポジションを任された。2010年は2月に顎を骨折するもW杯メンバーに入りし、パラグアイ戦に39分間出場している。

ただ、34歳で迎えた2014年は落選。

その際、『感謝。』というタイトルでブログに綴った長文は大きな話題になった。

「昨日は朝4時まで眠れませんでした。この4年、ここに入るためにいろいろと頑張ってきたんだなって。そこに入れない、行けないって決まった時のあの喪失感は一生忘れられないと思います。」、「本日、予備登録メンバーに選んでいただきました。でも、呼ばれるということは、23人のメンバーに何らかのアクシデントがあるということです。俺はそれを望みたくはない。でも過去の例を見ても何が起こるかわからないのがW杯です。だから、その時のためにしっかり準備をしておくのは登録メンバーに入った者の義務だと思います。」など綴った文面はいま見てもこみ上げるものがある。

久保 裕也(2018年大会)

卓越したシュート技術を持ち、10代にして海外に渡ったストライカー。

22歳だった2016年にハリル体制だった日本代表にデビューした。その後、アジア予選で2試合連続ゴールをマークするなど予選突破に貢献し、右サイドの定位置を掴んだかに思われた。

だが、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督が本大会直前に解任されると、立場が暗転。本人も驚くまさかの落選を味わった。

2018年3月を最後に代表からは遠ざかっており、2020年からプレーするMLSではボランチとしても起用されている。

浅野 拓磨(2018年大会)

20歳で代表デビューすると、その後、アーセナルに引き抜かれた快速FW。

2017年のアジア最終予選ではW杯出場を決めるオーストラリア戦でゴールを決めるなど存在感を発揮した。だが、シュトゥットガルトで出番を失うと、ハリル解任の影響もあり、まさかの落選を味わう。

その思いを糧にプレーを続け、今大会ではメンバー入りが確実視されていたが、今年9月に靭帯損傷するアクシデントに見舞われた。森保一監督からの信頼は厚いが…。

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また、2018年は中島翔哉も落選している。

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