アメリカで行われた1994年のワールドカップ。決勝はPK戦の末にイタリアを撃破したブラジルが勝利を収め、世界王者となった。
今回はその決勝戦で出場していた伝説的なブラジル代表のスターティングメンバーを振り返ってみよう。
GK:タファレル
現在:リヴァプール GKコーチ
ブラジル代表101試合に出場した名GK「聖タファレル」。180cmと身長が足りない選手だったが、それを補ってあまりある脚力と冷静さを備えていた。
イタリア・セリエAのパルマでは中田英寿とも短期間ともにプレーしていたことでも知られている。現在はアリソンが所属しているリヴァプールとブラジル代表でコーチを務めている。
CB:アウダイール
現在:フットバレー選手
ブラジル代表の名センターバック。エレガントで知的で、さらに技術的にも高く空中戦にも強い、リーダーシップに溢れた選手だった。90年代に世界最高クラスのディフェンダーとして高く評価された。
ローマ時代には中田英寿とも同僚に。2010年に44歳で現役を引退した後はフットバレーに転向し、56歳になった今もプレーしている。並行してフットバレー大使やスカウト、代理店経営、サッカースクール経営も行い、精力的に活動を続けており、今もバッキバキの体をしている。
CB:マルシオ・サントス
現在:フロント業
この1994年のワールドカップでベストイレブンに選ばれたブラジル代表センターバック。イタリアとの決勝戦ではPK戦で失敗するも、それにもかかわらずの選出であった。
2004年に引退した後に脳卒中で倒れるという経験もしたが、無事に復活。昨年まではサントスのサッカーコーディネーターとして育成に力を注いでいた。
右SB:ジョルジーニョ
現在:ヴァスコ・ダ・ガマ 監督
マルシオ・サントスとともに1994年ワールドカップのベストイレブンに選ばれたジョルジーニョ。次の年には鹿島アントラーズへと移籍し、創成期のJリーグを彩るスーパースターの一人になった。
2002年に引退後は指導者に転身。鹿島アントラーズを含めて様々なクラブを指揮し、現在はヴァスコ・ダ・ガマの監督として戦っている。
左SB:ブランコ
現在:指導者、解説者
ブラジルにおいてロベルト・カルロス以前の名左サイドバックといえばブランコである。左足のスペシャリストであり、正確無比のフリーキックで知られた選手であった。
この大会ではなんと最初の4試合をすべて欠場するも、レギュラーだったレオナルドが肘打ちで退場したことをキッカケに復帰。オランダ戦ではフリーキックを叩き込んだ。引退後は指導者やフロント業、コメンテーターとして活動。
CMF:マウロ・シウヴァ
現在:サンパウロ州サッカー連盟副会長
圧倒的なボール奪取力とリーダーシップで知られたブラジルの名ボランチ。ベテランとなってから2000年代初頭に欧州を席巻したデポルティーボ・ラ・コルーニャの中心選手として再ブレイクした。
引退後もサッカー界で裏方として活躍しており、現在はサンパウロ州のサッカー連盟で副会長を務めている。
セントラルMF:ドゥンガ
現在:解説者
ご存知「世界の闘将」ドゥンガ。1995年にはジュビロ磐田へと移籍してJリーグに活躍の場を移し、4年間にわたって日本でプレーし、多くの選手たちに影響を与えた。
引退後は指導者になり、2006年にはコーチ経験もないままブラジル代表監督に就任。さらに2014年から2016年もセレソンの指揮官を務めた。現在は解説者などを務めている。当時ルームメイトだったロマーリオとは現在アパートの保有権を巡って裁判で闘う仲に。
右SH:マジーニョ
チアゴ・アルカンタラとラフィーニャの父親であるマジーニョ。サイドバックやボランチなど様々なポジションでプレーできた名選手だ。鹿島アントラーズや川崎フロンターレにいた選手とは別人である。
引退後は少し指導者も行っていたが、ギリシャのアリスで短期間指揮をしたのみ。現在は息子のサポートに回っているという。
左SH:ジーニョ
現在:評論家
1995年からは横浜フリューゲルスで3シーズンにわたってプレーしたブラジル代表アタッカー。サンパイオやエバイールとともに日本で活躍し、ファンに強い印象を残した。
41歳までプレーを続けながら選手兼監督として指導者のキャリアもスタート。引退後はマイアミFCで指導者に専念し、後に評論家へと転身している。
FW:ベベト
現在:評論家、政治家
この大会中に3人目の子供を授かったため、オランダ戦でのゴールの後に「ゆりかごポーズ」をして大きな話題になったベベト。2000年には鹿島アントラーズでもプレーした。
引退後は指導者に転身したもののそれほど成功せず、評論家の活動にチェンジ。さらに2011年には政治家に転身し、リオデジャネイロ州の州議会議員に当選していた。
FW:ロマーリオ
現在:政治家
1990年代のサッカー界で最高のストライカーといえるロマーリオ。ベベトとの2トップは「不仲説」も流れていたが、ピッチ上ではまさにベストパートナーであり、多くのゴールを決めた。ブラジル代表70試合で55得点という素晴らしい記録を持つ。
【写真】20年前の日韓W杯「優勝したブラジル代表の伝説イレブン」、今は何をしているのか
2010年にはブラジル社会党から出馬して下院議員に当選。さらに2014年には上院議員に立候補して史上最多の得票数を記録した。その後ポデモス(旧国民労働党)を経て自由党に参加し、現在は連邦上院副議長も務めている。