水泳、武分「銀」獲得 ソフトボールは4位と健闘 とちぎ大会

【水泳知的壮年男子50メートル背泳ぎ(区分26)】昨年末に亡くなった母の思いを胸に、二つのメダルを獲得した武分(日本ハム諫早プラント)=宇都宮市、日環アリーナ栃木

 第22回全国障害者スポーツ大会「いちご一会とちぎ大会」第2日は30日、各地で14競技が行われ、長崎県勢は卓球知的青年女子(区分18)の太田歩美(三菱重工長崎)が2戦全勝で金メダルを獲得したのをはじめ、各競技で上位進出が相次いだ。
 陸上知的少年男子100メートル(区分27)の臼木大悟(希望が丘高等特支)は11秒02の大会新記録で優勝。29日の200メートルに続いて、2種目大会新Vを達成した。このほか、ボッチャの酒井紅葉(佐世保特支)と植杉紅美代(長崎ボッチャ倶楽部)ペア、陸上肢体女子1部スラローム(区分16)の野副綾(サンクスラボ諫早オフィス)が銀メダルに輝くなど、県勢はこの日、計16個のメダルを手にした。
 3位決定戦に臨んだソフトボール知的は滋賀に2-8(四回時間切れ)で敗れたが、堂々の4位で大会を終えた。
 最終日は31日、各地で5競技を実施した後、宇都宮市のカンセキスタジアムとちぎで閉会式が行われる。

◎武分「銀」 亡き母へささげるメダル 水泳知的壮年男子50背

 昨年12月に他界した母へ二つのメダルをささげた。水泳知的壮年男子(区分26)に初出場した40歳の武分(日本ハム諫早プラント)が、25メートル背泳ぎと50メートル背泳ぎでそれぞれ銅、銀を獲得。「何としても母のために、と思って泳いだ」。メダルの輝きを見ながら、天に思いをはせた。
 母の晴美さん(享年76)は優しさの中にも、温かい厳しさがある人だった。水泳の練習がある日は夜に職場まで迎えに来て、急いで晩ご飯を用意し、直接プールまで送ってくれていた。障害がある自分のために人生の大半を費やしてくれた。
 太ってパフォーマンスが落ちると「もっと痩せた方がいい」と容赦なく指摘された。その教えを思い出しながら、今大会は普段よりも体重を7~8キロ絞って出場。それが好結果につながったと感じている。
 悔しいのは、母に晴れ舞台での泳ぎを見せる夢がかなわなかったことだ。初めて県代表に選ばれた2019年茨城大会の時、母は既に足を悪くしていたが「応援に行くために手術を頑張る」とうれしそうだった。21年三重大会も楽しみにしていた。両大会とも中止になり、その後、母は持病で息を引き取った。「本当は連れてきてあげたかった」。そんな思いも力に変えて、ライバルたちに先着した。
 思えば「健康のためにいいから」と自分に水泳を勧めたのも母だった。それから約30年。水泳で最後の親孝行ができた。

◎健闘4位 継続の大切さ証明 ソフトボール知的障害者

 ソフトボール知的はメダルこそ逃したが、全国4位と健闘。3位決定戦で敗れた後、ベンチ前に整列した選手たちの表情はすがすがしかった。
 初戦で開催地の栃木に10-4で快勝。「栃木を応援する声が大きいんだろうなと思っていたけれど、栃木の人が長崎のことも応援してくれていて、すごくうれしかった」。そう振り返るエース堀内(モン・サンながさき)が試合をつくり、これに打線が応えた。

【ソフトボール知的3位決定戦、長崎―滋賀】3試合を1人で投げ抜いた長崎の堀内(モン・サンながさき)=大田原市、美原公園野球場

 堀内は準決勝、3位決定戦も含めて全3試合を1人で投げ抜いた。特に滋賀との3位決定戦は、初回に8点を許したものの、その後は無失点の好投。打線も四回1死満塁から2点を奪うなど見せ場をつくった。結果は2-8(四回時間切れ)だったが、選手たちは最後まで諦めずに戦った。
 コロナ禍や試合日の天候不良、九州予選敗退などが重なって、出場は実に6年ぶり。この間、福祉施設で働くメンバーたちは仕事の都合上、練習や試合に参加したくてもできないという苦悩もあった。それでも細く、長くチームの活動を継続してきたからこそ、もう一度全国の舞台に戻り、4位という結果を出した。
 「他県のようにがっつりできないチームだけど、これからも自分たちは自分たちのペースでやっていく」。加入12年目の古参、中堅宮浦(有田工業)はそう言って、仲間たちの頑張りをねぎらっていた。

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