「人間性を磨き自分で考えて動ける人に」 “スモール・フットボール”育成の心得② W杯日本代表に選出・伊藤洋輝選手の恩師に聞く

11月20日に開幕するFIFAワールドカップカタール2022に出場する日本代表に浜松市出身の伊藤洋輝選手(ドイツ・シュツットガルト)が選ばれた。伊藤選手は小学生時代、静岡県西部でフットサルスクールを展開する日系ブラジル人の安光マリオさん(72)=浜松市在住=の元で、卓越した足技と判断力、さらにはサッカーに取り組む姿勢を身に着けた。

マリオさんは、1990年代半ばから、日本フットサル界の発展と、フットサルとサッカーの連係を支えてきたキーパーソンでもある。一人の来日労働者から、静岡フットサル界の顔へとなる半生も振り返る。

小学生時代の伊藤選手(後列中央)を指導したマリオさん(後列左端)

■「仲間のため、チームのため」

マリオさんのもとでプレーする子どもたちは皆、「仲間のため、チームのためにプレーしなさいと常に言われている」と語る。「仲間のため、チームのため」。この言葉は、マリオさんが来日して以降の苦労や奮闘の日々と重なる。

マリオさんが来日したのは、フットサルの指導者としてではない。1人の労働者として、静岡県天竜市(現・浜松市天竜区)にやって来た。「2年くらい日本で仕事してから、ブラジルで何かやろうと思ってきたんだよね。それが今までおる」と笑う。その、来日してからの30年は「1人では何もできない」というフットサルの本質を、人生をして知る日々でもあった。

マリオ「日本に来たのは1992年の12月で、天竜で車の部品を作る会社で働いていた。最初はすごい大変だったよね。まず言葉が分からない。スーパーに行ったら物を間違えて買うこともあった。外国人が店に入ったら『気を付けて、外国人が入ってるから』って放送が流れる時もあったりしたんだよね。でも、そんなことで腹を立てるんじゃなくてね。その現状を変えていくような気持ちを自分の中につくらなければいけないと思った」

「仕事場でも、僕ら外国人だったから、上の人たちからすごい変なこと言われたりしたことがあった。そこで日本人の仲間をもっと作って、ちょっとずつ勉強して『(我々は)外国人だけど、同じ人間だからもっと大事にするように』と、いろんなことを変えてもらえるようにやり出したんだ」

1990年代初めごろの浜松市における外国人の数は、およそ1万1000人。そのうち、ブラジル出身者は6000人を超えていた。「国際化」が言われながら、外国人との関係で戸惑いやトラブルも多かった時代。そうした中で、仲間や理解者を増やし、助け合っていくためにマリオさんがんだのは、小さい頃からひた向きにプレーしてきた、ブラジル仕込みのフットサルだった。

来日した時は労働者だったというマリオさん(写真中央)

マリオ「ブラジル人たちも、もっと仲間でね、もっといろんな場面で人間関係をつくって『辛いところを良くしていこうや』って。そうしていくには『スポーツでないといけん!』っていう思いがあったんだよね。天竜には、バスケットのコンクリートのコートがあって、そこで友達たちと人数が少なくてもできたから集まって、フットサルをやり出したんだよね。遊びの感じで始めて、ちょっとずつ学校の体育館を使わしてもらうようになったんだよね」

「最初にフットサルのイベントをやったのは困っているブラジル人を助けるため。1人ブラジル人の家が火事になった。浜松で。困っとったから、その人にちょっとでもいいから協力するために大会を開いて、集まった分を全部その人に渡したんだよね。僕らは子どもが病気になると、昔保険やらも何も使えなかった。自分で何とかせんといけんかったから、お金集めでやったりする。そんな感じだったね」

最初はチャリティーや仲間の親睦のために始めたフットサルだったが、こうした活動は1997年フットサル、国内屈指の「天竜リーグ」として発展した。マリオさんはその中心にいた。それが2007年、国内トップリーグ「Fリーグ」の誕生につながっていく。

一方、昼夜働き続けた職場で体調を崩したこともあり、マリオさんはフットサルで生きていくことを決断する。

マリオ「ブラジルでも、スポーツで仲間をいっぱいつくっておったから、日本でもそれでうまくいくんじゃないかってね。そうしたら、思っていた以上のチームが日本全国から天竜に集まるようになったんだよね。当時はフットサルを好きだった人がいっぱいいた。すごいブラジル人のチームがいっぱいあったの。ちょうど、ブラジルの店などがすごくいい時だったからスポンサーに入ってくれて、大会の運営がもっとうまくできるようになった。そこに日本人チームがちょっとずつ入り出した」

「『フットサル、天竜でやってるから』って。工場を辞めてから、フットサルでちゃんとやっていくのは難しかったけれど、あっちこっちにフットサルのクリニックに行ったり、いろんなイベントやらに出るようになったりした。日本人の仲間がいっぱいできて、その人たちがついてくるようになったり、手伝ったりするやらいっぱい協力してくれる人が出たんだ。そうしてレスポンスもが大きくなって、参加チームが増えた。浜松に400人から500人が泊まったこともあった。すごいことになっていったよね。振り返るとみんなが楽しく、いいものをやってきたんだと思うんだよね」

「このフットサルで、私は日本でいっぱいチャンスをもらっとるし、フットサルが私に人間的にすごいいろんなものを教えてくれるっていう感じもあるよね。そして周りの人たちの協力や、子どもたちの力があるからこそ私もやってこられた。人は1人では絶対なんにもできないから。だから、一番子どもたちが分かっていないといけんのは、フットサルも、そして普段の生活も自分1人でできるものではないということ。そのために周りを大事にしてやるようにせんといけんっていうのを一番大事と思うんだよね」

フットサルで生きていくと決断したマリオさん

■「やっぱし人間性が大事」

今夏のある練習試合のことだった。

「守らない、適当なプレーが多くなった、まじめさが足りないよ!」

圧倒的なスコアでチームが勝利した後、マリオさんから選手たちに厳しい言葉が飛んだ。それは試合終盤のプレーの緩みを正すためだったが、改めて真意を聞くと、もっと深い意味があった。

マリオ「チームのプレーが良くない時は、はっきり、きつく言ったりする。だけど、私は変なことは子どもに言ったことはないと思うよ。私も昔、選手の時も、私の監督やらなんかすごいきつかった。怒るんじゃなくてきつかった。それは人をダメにするためじゃなくて、その人自身と仲間を助けるためにそうしているんだよね。ちょっとズルっぽくしてプレーする人たちもおるけんど、どこかでうまくいかなくなるよね。それは昔からそうで、人生も同じだと思う。いらないことはやんないようにしなきゃいけない。だから私、うまい選手はほめない。自分がすごいから何でもできると思っとったら、それは大きな間違いをしとるよね。自分1人でチームが勝てるわけじゃない。フットサル、サッカーは周りがいなかったらできるものではないから。11人でも8人でも5人でもね、ちゃんとチームでプレーできる人間でないとね」

マリオさんの指導には、フットサルやサッカーの選手としてだけでなく、「しっかりした人間を育てる」ことが根底にある。

マリオ「人間的にしっかりせんかったら何にもできないから。フットサルでもサッカーでもやるのには、しっかりした人間でなかったら、ちょっと変なことを試合の中でやったりする選手になる。しっかりした人間の土台になるのは『何でも大事にせんといけん』、『自分のことだけでなくて周りも大事に』ってことなんだね。そう考えるのは、しっかりした人間だったら何をやっても成功する可能性があるから」

「私自身、このフットサルで私の人間的なができてきたと思うんだよね。それがあったからじゃないけんど、フットサルでなく、医者の大学に行ってうまくいっている奴らもおる。僕らすごい子どもたちを大事にして来たし、それで実際子どもたちはしっかりしたと思う。彼らは時々遊びに来る。スクールでクリスマス会やる時にも何人か来る。伊藤洋輝はいつでも来よった。洋輝もしっかりした人になった。だから成功したと思うよね」

「人間性を磨いていく」。そのためにマリオさんがいまの日本の子どもたちに願うのは、豊かさの中にあっても「自分で考えて動ける人」になってほしいということだ。

「しっかりとした人になった」とマリオさんも太鼓判の伊藤洋輝選手

マリオ「日本で結構あるのは、子どもがやるんじゃなくて、親がいろんなことを決めたりすること。そんなのはすぐ分かって、子どもが辛い感じでやったりしてるのがおる。僕らはもっと子どもたちが自分でいろんなことを決めていくようにしたらいいと思っとる。さっきも話したけど、子どもらがその場面で何をやったらいいか、自分が決められるようにすることがプレーで大事なようにね。いま多くの子どもたちはいつでも、お父さんかお母さんがちゃんと荷物を用意してくれる。でもちゃんと自分で確認せよと、出る前に。全部あるんかないかって。そんなちょっとのことだけんど、それが成長につながっていくと思うよね」

「私がフットサルを初めてやった時なんか、自分でボールを作った。野球ボールを崩して、新聞を濡らしてから周りを固めて、周りにはゴム、その上にカバーをつけてね。硬いボール、重たいボールでね。7人兄弟だった私は親に『これ買うからお金くれ』とは言わなかった。自分で全部せんといかんと思ったから。自分でそうしてボール作ったりしてそれで仲間やらと一緒にプレーをしていたんだよね。木を倒して切って、ゴールを作ったりもしたね。私は日本で子どもたちに言うの。『お前ら、1個ずつボール持ってる、でも僕ら15人で1個のボールだった』と。靴も何足でもある。僕ら裸足でやったでしょ、靴がないから。全部なんでもあるんだから、変なことがあってはダメと思うの」

「私、子どもが好きだからね。子どもがやっぱし、私のメインだと思うんだよね」(マリオさん)。練習の前、マリオさんは子どもたちが練習で身に着けるビブスをきれいに畳んでいた。道具を大事にするその姿は、「何でも大事にせんといけん」という自身の言葉通りだった。

「より始めよ」という故事成語がある。この言葉は、物事はそれを始めた人から積極的に取り組まなければならない、または、大きな事業を成し遂げるには身近な小さなことからきちんとやりなさい、と己を律する意味を含む。

スポーツに携わる人として、そして人としてどうあるべきか。スモール・フットボール発展の礎になった男は、背中で語り掛けていた。

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