ヴィアッリ安らかに…「選手兼監督をした10名の世界的な名選手」

6日、イタリア代表の名ストライカーであるジャンルカ・ヴィアッリ氏が死去した。

彼と言えば、世界でも珍しく選手兼監督として指揮を執り、しかも成功を収めた人物でもある。

今回は現代サッカーでプレイングマネージャーを務めていたことがある世界的な名選手を取り上げる。もちろんここで漏れた選手もいるがご理解いただきたい。

ニコラ・アネルカ

選手兼監督として率いたクラブ:上海申花、ムンバイ・シティ

フランスの名選手であるニコラ・アネルカ。2012年に加入した中国超級リーグの上海申花で急遽プレイングマネージャーを務めることになり、さらに2015年からは当時所属していたムンバイ・シティでも監督を兼任した。

エドガー・ダーヴィッツ

選手兼監督として率いたクラブ:バーネット

目の病気のためにゴーグルを着用しながらプレーしていたことが印象的なオランダ代表の「狂犬」ダーヴィッツ。2012年にイングランド下部リーグのバーネットにプレイングマネージャーとして加入したが、2年目にチームが降格。3年目には最初の8試合で3回も退場してしまい、そのまま退任、選手も引退した。

ロベルト・カルロス

選手兼監督として率いたクラブ:デリー・ダイナモス

「悪魔の左足」を持っていると評価されたブラジル代表の伝説的左サイドバック。一度ロシアで現役を引退したが、2015年にインディアン・スーパーリーグで現役復帰。デリー・ダイナモスで指揮をしながらプレーした。

ケニー・ダルグリッシュ

選手兼監督として率いたクラブ:リヴァプール

近年プレイングマネージャーとして最も成功を収めた人物がケニー・ダルグリッシュだろう。リヴァプールのレジェンドであり、選手としても豊かな実績を持つほか、1995年からは監督としても3度のリーグ優勝、2度のFAカップ優勝を果たしている。

サミュエル・エトー

選手兼監督として率いたクラブ:アンタルヤスポル

現在はカメルーンサッカー連盟の会長を務めているサミュエル・エトー。2015年にトルコのアンタルヤスポルに加入し、半年後に監督が解任された際にプレイングマネージャーに任命された。指揮を執ったのは1ヶ月ほどだったがそのニュースはかなり衝撃的だった。

ヴァンサン・コンパニ

選手兼監督として率いたクラブ:アンデルレヒト

マンチェスター・シティで長く活躍した知的なセンターバックは、2019年に古巣のアンデルレヒトに戻った際になんと「プレイングマネージャーになる」と発表。実質的な監督を務めたものの、成績が全く伸びなかったためにすぐ辞任。次年度に選手を引退してから正式に監督として就任することにした。

ライアン・ギグス

選手兼監督として率いたクラブ:マンチェスター・ユナイテッド

マンチェスター・ユナイテッドでそのキャリアすべてを過ごしたワン・クラブ・マンであるギグスは、暫定的にではあるが監督も務めた。デイヴィッド・モイーズが解任された後、シーズン終了まで彼が選手をしながら指揮し、なんとかクラブを立て直した。そして夏には引退し、コーチに転身している。

ウェイン・ルーニー

選手兼監督として率いたクラブ:ダービー・カウンティ

ルーニーがプレイングマネージャーを務めたのは2020年1月に加入したダービー・カウンティ。2020-21シーズンにコクー監督が解任された後に後任として任命された。当初は調子が良かったが、その後調子を落としたため現役を引退、指導者に専念することになった。

ルート・フリット

選手兼監督として率いたクラブ:チェルシー

PSVやミランで活躍したオランダ代表の名選手。1995年に加入したチェルシーでグレン・ホドル監督がイングランド代表に引き抜かれた後、2年目からプレイングマネージャーとして指揮を執った。プレミアリーグで2位という結果は残したものの、経営陣とあまりうまくいかなかったという。

ジャンルカ・ヴィアッリ

選手兼監督として率いたクラブ:チェルシー

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ルート・フリット氏が監督を務めている際に選手として所属していたヴィアッリ。その後任として選手兼監督に指名され、リーグカップ優勝、カップウィナーズカップ優勝を果たした。

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