「パラスポーツのアイコンに」 日本代表・鳥海連志(23)が語る“車いすバスケ”への思い

「パラスポーツのアイコンになりたい」と語る鳥海(パラ神奈川SC)=長崎市、県立総合体育館応接室

 車いすバスケットボール界のエースで2021年東京パラリンピック銀メダリストの鳥海連志(23)=パラ神奈川SC、大崎高出身=が1月29日、出身地の長崎市で県民を無料招待したエキシビションマッチを開催した。今月4、5日もB2長崎ヴェルカとタッグを組んだイベントを予定している。今や日本中に注目されるトップアスリートとなった23歳は「パラスポーツのアイコンになりたい」と語り、障害者スポーツの枠を超えた取り組みを続々と打ち出している。第一人者としての思いを聞いた。

■地元の応援が力

 -1月20、21日に行われた日本選手権での優勝とMVP、おめでとうございます。決勝は有料ながら3千人超が来場する人気だった。
 ありがとうございます。僕がチームに入って初めての優勝だったのでうれしかった。コロナ禍になって東京パラリンピックが無観客に終わり、U23日本代表の大会も当初の日本開催からタイに変更になった。なかなか大舞台を見てもらえる機会がなかったので、今回たくさんの人に来てもらった中でタイトルを取れたのは大きい。

 -東京パラリンピックを契機に、車いすバスケが「かっこいい」という印象に変わった。
 東京以降、応援をより強く感じるようになったし、そんな中でバスケをできていることがとても大切な時間だなと日々感じている。だからこそ日本選手権もそうだし、しっかりと優勝していく、勝っていく姿を見せていきたいという思いが強い。

 -今回、地元でイベントを開いた意図は。
 東京パラを目指す中で競技に専念するため、長崎から関東に出た。なかなか長崎に帰ってバスケをする機会がなくて、見てもらう機会もなかった。自分自身、長崎の皆さんから応援してもらっていると改めて感じたかったというのが一番の理由。やはり僕の原点で、高校を卒業するまでの18年間はずっと長崎に育ててもらって今がある。原点回帰じゃないけれど、今のタイミングで振り返ってみたかった。

 -車いすバスケにとどまらず、県内で頑張っている他競技のアスリートと積極的に触れ合って刺激を与えている。
 今、バスケットボール自体が長崎で盛り上がっているし、バスケだけでなくいろんなスポーツが好き。スポーツが人に与える影響は大きい。やる側だけでなく、応援する側、支える側も含めて、いろんな方が関わって長崎が盛り上がるというゴールに向かいたい。

1月29日に地元長崎市で開いたエキシビションマッチで得点を決める鳥海(パラ神奈川SC)=県立総合体育館

■屋外3X3主催

 -注目されている立場を受け止めて、メディアやファッションショーなど露出を増やして競技普及に貢献している。
 パラスポーツのアイコンになれればいいなと。ファッションだったり、他のバスケ以外の活動でもそうだけど、入り口はどこであれ、知ってもらうきっかけになると信じている。僕なりの多角的な表現で盛り上げていきたいという思いは強い。

 -引退を表明した車いすテニスの国枝慎吾選手は「パラスポーツの概念を超えたい」と言っていた。鳥海選手も常々、似た発言をしている。共通点を感じる部分は。
 国枝さんとはいろんな機会にお会いすることが多くて、影響を受けている。2009年にプロ宣言をして、今まで長く第一線でやってこられた方。彼が道を切り開いたからこそ、小田凱人君みたいに今、若い子がプロでやると言えている。時代をつくってきた背中を僕も追って、車いすバスケで何ができるんだろうと常に考えている。国枝さんがいるからこそ、考えさせられることは多い。

 -今後、やってみたいイベントは。
 今、僕の主催で「プッシュアップ」という車いすバスケの3X3の大会をやっている。昨年10月スタートで2回開催したけれど、かなり盛り上がって手応えがある。5人制はまずチケットを買って体育館に来てもらわないといけない。3人制なら街中のハーフコートでやれる。ハコではなく屋外。日常に車いすバスケが溶け込める。まだ関東でしかやっていないが、長崎やいろんな場所でやりたい。わざわざ見に行くのではなく、街を歩いていたら車いすバスケをやっているというくらい、フラットにあるものとして伝えていきたい。

■パリでもメダル

イベントで一緒にプレーしたパリパラリンピックを目指している県勢4人。(左から)U23日本代表の溝口良太(長崎サンライズ)、フル代表主将の川原凜(千葉ホークス)、鳥海、U23日本代表の山下修司(長崎サンライズ)=県立総合体育館

 -パリ大会まで残り1年半。日本代表の現状をどう捉えているか。
 正直いいとは言えない。東京パラでメダルを取れたものの、その後の遠征でかなり厳しい試合が続いている。パリの目標をメダル獲得とすれば遠い道のりだなと。一人一人が危機感持って焦った方がいい。

 -東京大会後、自身のプレーで向上を実感する部分は。
 一つは得点が多くなったこと。ただ、自分は周りをどう生かすかというところにフォーカスしている。ここ数年はかなりアシストも増えていて、周囲といい関係でバスケをつくっていけている実感がある。この部分はパリに向けても自分のポイントになる。長崎の子たちも含めて若い選手がかなり成長していて、スキル一つで見れば負けている部分もある。本当に尊敬する部分が多くて、そこは先輩後輩関係なく盗んでいきたい。

 -2月2日、24歳の誕生日を迎える。リオでは若手の期待株。東京でエース。今はチーム全体を見る中堅のような立ち位置に変わった。
 僕はいい意味でも悪い意味でも型にはまらないような選手であり人間。だからこそ、どうチームに化学反応を起こせるかがとても重要になる。人は悪い影響なら簡単に与えられるけれど、プラスの影響は積み重ねでしか与えられない。その積み重ねが信頼や思いやりにつながり、団結力や一体感が生まれるというステップがある。だからこそ、型にはまらない自分が何をもたらすのかは大事な部分。チームメートにいろんな要求をするし、高いレベルを追求する。それが必ずいい影響となるように心がけている。

 -あえて人と違うことをして自らを追い込み、モチベーションにつなげている。
 自分にプレッシャーをかけているというのは、正直ある。けっこう大口をたたくし、周りを気遣ってきれいな言葉を使おうとも思わない。その分、プレッシャーを感じながら競技になればバチバチやりたい。その積み重ねが質のいいものをつくっていくんだろうと信じている。今年も変わらずやっていく。

 【略歴】ちょうかい・れんし 手脚に先天性の障害があり、3歳で両下肢を切断した。大崎中1年時に佐世保WBCで競技を始め、2015年度に日本代表入り。パラリンピックは16年リオデジャネイロ大会に17歳で初出場。21年東京大会はMVPの活躍で日本初の銀メダル獲得に貢献した。22年U23世界選手権で日本初Vの原動力となり、23年日本選手権は所属するパラ神奈川SCを22大会ぶりの優勝に導いて大会MVPに選ばれた。長崎市出身、大崎高卒。23歳。


© 株式会社長崎新聞社