原爆・平和 展望見えぬ「被爆体験者」救済 <長崎市政・田上市長4期16年>

1月に田上市長(右)と面会し、早期救済を訴える被爆体験者の(左から)岩永千代子さんと山内武さん、支援者で被爆者の川野さん=長崎市役所

 1月20日、長崎市役所。市長の田上富久は「被爆体験者」と向き合っていた。被爆者認定を長年求め、その糸口と期待された県専門家会議の「黒い雨」報告書が国に否定されたばかり。怒り、失望する体験者たちに田上は言った。「皆さんの気持ちはよく分かるし、同じ気持ちです」
 国の指定地域外で長崎原爆に遭ったとして被爆者と認められない被爆体験者の救済は、田上市政の重要課題として横たわってきた。
 体験者が、被爆者健康手帳交付を求め初めて提訴したのが2007年。田上が市長に就任した年だ。02年度に始まった国の支援事業が被爆者と援護の格差が大きいと主張し、国の委託で交付事務を担う市と県は被告の立場に置かれた。
 裁判は長引き、体験者は高齢化。そこで、田上は15年、根本的救済に向け国への「被爆地域拡大」要望を14年ぶりに再開した。国の指針に基づき援護行政を進める反面、体験者の被爆者認定につながる地域拡大を要望する-。田上が、立場の矛盾を乗り越えようとした形跡はうかがえるが、「科学的根拠がない」などと国に拒まれ、体験者からも「(国と体験者の)どちらにもいい顔をする」「本気度が見えない」と不信を買った。
 国は昨春から広島原爆の黒い雨被害者を被爆者認定する新基準を運用するが、長崎で黒い雨に遭った体験者らは対象外。支援事業では、がん7種類を対象疾病に追加する方針を国が示すなど一定の「前進」(田上)を得たが、体験者が求める真の救済は、今も見通せない。
 市職員時代、平和行政とは縁遠かった田上だが、国内外に核兵器廃絶を熱心に訴え続けた。1期目を知る市職員OBは「被爆者が高齢化する中、被爆都市のトップとして核兵器の恐ろしさを世界の市民社会に訴えたいとの思いが強くなっていった」と語る。任期中、核拡散防止条約(NPT)再検討会議をはじめとする核軍縮・廃絶関連の会議や式典などへの出席のため、各国に21回渡航。スピーチは計50回を超える。
 田上市政16年間を経て被爆者の平均年齢は84歳台、体験者は83歳台となった。被爆体験者問題の根本的解決への道のりは遠く、ロシアによる核の威嚇などで世界の核情勢は混迷している。「残された時間はごくわずか。私たち被爆者がいるうちに『展望』を見せてほしい」と被爆者の川野浩一(83)は切実に願う。
=文中敬称略=


© 株式会社長崎新聞社