防衛庁長官時代に移転・返還への道を切り開いた久間章生氏(82)に当時の状況などを聞いた。
-移転・返還交渉のときの米側の雰囲気は。
「前畑弾薬庫の移転・返還の契約を結ぶに当たって、上院・下院の両方の同意が必要とのことで、米軍もすごく神経を使っていた」
-代替の場所が必要だとこちらも(日本側も)考えていたのか。
「米国は絶対に『返してくれ』だけじゃ納得しない。代わりを使って良いから前畑を返してほしいという形にした気がする」
-米側はなぜ移転・返還の話に乗ったのか。
「今でこそ台湾問題が出てきて厳しい状況になっているが、当時、米国は前畑弾薬庫を今後どうしていくかについて、だいぶ揺らいできていた。米国自身も補給のバックアップをどこでどういうふうにさせるか、あんまりうるさく言わなかった気がする。もう手放してもいいんじゃないかと。それぐらい揺らいできていた。ただし最近になって空気が厳しくなってきているような気がする」
-米側は「代わりの弾薬庫が近くにあればいいか」との認識だったのか。
「いや、なぜ変えないといけないのかということを世論も含めて(納得させる)努力をしなきゃいけない。そういう雰囲気だった。今までうまくやってきたんだから、そのまま置いておけないのかという意見もあった。(近い場所への移転であっても)人員の配置も関わってくる」
-なぜ移転・返還が進まないのか。佐世保にとっても米国にとっても急ぐ理由はないということか。
「今はね。日本も急いでやったからといってどんなメリットがあるのかと」
-米国が「急がないといけない」と思っていたらもっと進んでいたのだろうか。
「そうそう。(今は)急ぐ必要もメリットもない」
-当時はこんなに時間がかかると思っていたか。
「やろうと思えばすぐにでもやれるという感じだった。こんなに時間を食うのはなぜなのか分からない。『もっと大事なやつに予算は回せ』でそっちの方に回しているんじゃないのかな」