伊東静雄没後70年

 きょうは諫早市生まれの詩人、伊東静雄の命日。1953年3月12日、肺結核のため大阪の病院で息を引き取り、46歳の短い生涯を終えた▲没後70年に当たり、来月から使われる高校教科書「精選 文学国語」(明治書院)に静雄の詩「羨望(せんぼう)」が掲載される▲詩人志望の若者が、セミの鳴き声に勉強を妨げられた、と嘆いた。<蝉(せみ)の声がやかましいやうでは所詮(しょせん)日本の詩人にはなれまいよ>とからかう静雄。若者は顔を赤らめ、恥じながら〈でも-それが迚(とて)も耐らないものなのです〉と言う▲詩は〈わたしは不思議なほど素直に/-それは 迚も耐らないものだつたらう/しんからさう思へてきた/そして 訳のわからぬうらやましい心持で/この若い友の顔をながめた〉と結ぶ。若者の純粋さに、自分が追い求めるものを見たのだろうか。若い世代がどう読むか楽しみだ▲若くして故郷を離れた静雄は、諫早ではほとんど無名だった。地元の詩人、上村肇らが54年、諫早公園に詩碑を建て、十三回忌に当たる65年から碑の前で静雄をしのぶ「菜の花忌」を始めた。今月26日で59回目を迎える▲仏文学者の桑原武夫は「百年後、彼の名はいっそう光をましているだろう」と予言した。確かに静雄は今や諫早の誇りだ。その名を知らぬ人は、もうほとんどいないだろう。(潤)

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