ハタ揚げ大会、4年ぶりに

 4年前の今時分、戦前の長崎で少年時代を過ごした方から往時のハタ揚げの様子をうかがい、この欄に書いた。すると、70代の女性から手紙を頂いた。〈幼い弟が上手にビードロを作っていたのを思い出しました〉と感想がつづられている▲女性が懐かしむのは1950年代の長崎の光景で〈子どもたちは狭い空き地で、麦が入ったごはんを練ってヨマにもみ込み、粉々にしたガラスを振りかけて…〉と“手順”が書かれている▲ハタ合戦ではビードロ(ガラスの粉)の付いたヨマ(揚げ糸)で別の誰かの糸を切る。昔の子どもたちはそれを手作りしたという。同じ記憶を持つ方もいらっしゃるだろう▲郷土史家の故永島正一さんの著書「長崎ものしり手帳」(葦書房)に、もっと古い話がある。18世紀前半、江戸の亨保年間からハタ揚げが盛んになり、大人の間で〈ケンカ、口論、大乱闘もあって、長崎奉行所でたびたび取締(とりしま)りのふれを出した〉…▲合戦にのめり込み、とかく騒ぎになったらしい。一時はハタ揚げ禁止令まで出されたが、激動の幕末には奉行所の“監視”も薄らいで、ハタ揚げが復活したという▲意気盛んに揚げるさまは今昔、変わるまい。長崎市の唐八景公園できょう、4年ぶりに長崎ハタ揚げ大会がある。昔日の春を探すのもまた一興に違いない。(徹)

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