「先生はヒーローだ」仮死状態から救われた男の子、医師と10年越しの再会

浅井さん(左端)に10年前の治療への感謝を伝えた中嶋ヒロさん(左から2人目)ら家族=大津市大江7丁目・あかい家のこどもクリニック

 重症仮死状態で生まれた男の子が今年3月、10歳の誕生日を前に、滋賀県大津市内でクリニックを営む当時の担当医に家族でお礼を伝えた。治療のかいあって一命を取り留め、元気に育った男の子は「先生が一生懸命助けてくれたとお母さんからずっと聞いていた。ありがとうございました」と感謝した。

 男の子は、京都府福知山市問屋町の昭和小4年中嶋ヒロさん(10)。2013年4月、臨月だった母ういさん(44)は、自宅で突然の大量出血に見舞われた。救急車で向かった福知山市民病院で「胎盤早期剥離(はくり)」を告げられ、緊急帝王切開へ。赤ちゃんの心音を聞くことができず、自分の血圧は200と聞いて「パニックになった」と振り返る。

 その日の当直だった小児科医の浅井大介さん(52)は生まれてすぐのヒロさんに挿管して呼吸をアシスト。点滴用のルートを確保した上で、脳の障害の進行を防止する脳低温療法が可能な京都市内の病院に転院の手続きを取った。救急車で転院先に向かう途中、徐々にヒロさんに反応が見られるようになった。浅井さんから「脳を冷やさなくても大丈夫そうだ」と聞いた父隆博さん(41)は、安どの余り涙を流したという。

 赤ちゃんは、隆博さんの名前の読みと「浅井先生はヒーロー(英雄)」との気持ちからヒロと名付けられた。ういさんはSNS(交流サイト)で浅井さんの勤務先を探し、浅井さんが大津市内で開業したことを知った。ヒロさんが小学1年生になったら訪問しようと考えていたが、新型コロナウイルスが流行し始めたため手紙を送るのにとどめ、さらに3年を経た今年3月、ついに再会を果たした。

 ういさんは「先生のおかげで元気に育ってくれた。ずっと直接お礼が言いたいと思っていた」。空手に打ち込んでいるヒロさんの将来の夢は「たい焼き屋さん」で、おいしいたい焼きでみんなを笑顔にしたいという。

 浅井さんは「母子ともに危険な状態だったのでよく覚えている。医師として当然のことをしただけだが、元気な顔を見せに来てくれて本当にうれしい」と話し、ヒロさんが好きなキャラクターのぬいぐるみを贈り、再会を喜び合った。

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