普賢岳大火砕流の実相学ぶ 長崎・島原市新人職員ら「平時から備え大切」

被災タクシーを示し、火砕流の猛威について島原市の新規採用職員らに説明する杉本館長(右端)=島原市北上木場町

 43人の死者・行方不明者が出た雲仙・普賢岳大火砕流惨事(1991年6月3日)の記憶を継承し、防災の心構えを学んでもらおうと長崎県島原市は10日、同市と島原地域広域市町村圏組合が今春採用した新規採用職員計22人に水無川周辺でフィールドワークをした。
 新人職員のほとんどが大火砕流後に生まれていることから、市は2021年度から新人職員を対象に実施している。参加した新人職員の年齢は19~32歳。32年前の大火砕流で甚大な被害を受けた安中地区の公民館に当時勤務していた元市職員で、現在は雲仙岳災害記念館館長の杉本伸一さん(73)が講師を務めた。
 新人職員は同館を見学した。杉本さんは当時の災害対応について、市役所本庁と連絡が取れない中、住民の避難対応などに当たった経験を説明。避難所に暮らした体験を基に「災害時は全職員が防災担当。公務優先となるため、平常時から家族と防災について話し合ってほしい」と強調した。
 その後、大火砕流でタクシー運転手や消防団員、報道陣らが犠牲となった同市北上木場町の「定点」周辺に移動。杉本さんは約2年前に発掘された被災タクシーなどを前に火砕流の猛威を説明し「まずは足元、周りに見える景色を理解し、どのような災害が起きるかを知ること。そこから(火山の麓での)暮らし方が見えてくる」と話した。
 安中地区出身で市農林課に配属された入江光希さん(22)は「平時からの備えが大切だと分かった。しっかり考えて、行動していきたい」と話した。

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