インテルの「下部組織出身のベストイレブン」。バロテッリ…

イタリアの強豪クラブとして長くその立場を確固たるものにしているインテル。ACミランとのライバル関係もサッカー界を盛り上げる要素だ。

今回はそんなインテルの下部組織を経てプロサッカー選手になった選手たちの「ベストイレブン」を選んでみた。

GK:ワルテル・ゼンガ

インテル所属:1971~1994

数多くの名ゴールキーパーを生み出したイタリアの中でも有数のレジェンドといえるワルテル・ゼンガ。インテルの下部組織で育った後、ローン先の下部リーグでデビューした。

その後急速に成長を見せて1983年にイヴァーノ・ボルドンの後釜としてレギュラーを奪取し、それから長くゴールマウスを守った。イタリア代表としても58試合に出場している。

右SB:ジュゼッペ・ベルゴミ

インテル所属:1977~1999

インテルのレジェンドと言えば抜くことができない選手といえるジュゼッペ・ベルゴミ。16歳でトップチームに昇格し、若くしてコッパ・イタリア優勝に貢献。安定したパフォーマンスでチームの中心的なディフェンダーとなった。

印象的な口ひげから「ロ・ジオ(おじさん)」と呼ばれ、最終ラインの様々なポジションをこなし、キャプテンとしても活躍。1999年に引退するまですべてのキャリアをインテルに捧げた。

CB:リッカルド・フェッリ

インテル所属:1981~1994

インテルの下部組織から1981年に昇格し、それからすぐにレギュラーを奪取。それから13シーズンにわたってセンターバックやボランチとしてプレーした。

高さのあるヘディングや好戦的なマンマークを得意としたクラシカルなディフェンダーであったが、強烈なフリーキックも武器であったという。引退後はインテルのアカデミー、そしてアメリカでのインテルサッカースクールなどで指導したという。現在もインテルでクラブマネージャーを務めている。

CB:アルド・ベト

インテル所属:~1968

ACミランのレジェンドの1人であるアルド・ベト。1974年から1981年まで長くプレーし、140試合以上に出場したディフェンダーだ。フィジカルと激しいプレーに長け、マンマークが強烈だったという。

ミランの殿堂入りしている選手であるがもともとはインテルのユース出身。ただトップ昇格からまもなくエレニオ・エレーラ監督によってローマへと連れて行かれ、そこで躍進したという。

左SB:ダヴィデ・サントン

インテル所属:2005~2011、2015~2018

サイドバックについてはあまりインテルからスターが生まれていないのでマッテオ・フェラーリやフランコ・クレッシ、ジョヴァンニ・パスクアーレ、クリスティアーノ・ビラーギらと悩んだが、インテルへの貢献度と言えばサントンだろうか。

長友佑都とポジションを争ったことでも知られている生え抜きディフェンダーで、若くしてイタリア代表としてもプレーした。ただ20代前半から大きな怪我に泣かされた。一度ニューカッスル・ユナイテッドへと移籍した後に復帰したが、復活はならず。ローマに移籍して再起を図るも、31歳で引退している。

DMF:ジュゼッペ・バレージ

インテル所属:1971~1992

現在インテルのテクニカル・アシスタントを務めている名選手。フランコ・バレージの兄でもある。下部組織から18歳でトップ昇格し、1988年からはキャプテンにも就任。16シーズンで合計559試合に出場した。

勤勉で粘り強く、そして試合を読む優れた目を持っており、サイドバックやセンターバック、守備的ミッドフィルダーなどをこなしたという。なお娘のレジーナ・バレージもインテル女子のFWとして活躍していた元選手。

DMF:ガブリエーレ・オリアーリ

インテル所属:1966~1983

ルーマニア人の母を持っているインテルのレジェンド。ユースから1970年に掌握し、初年度でスクデットを獲得。若くしてチームの中心的な選手となり、守備的ミッドフィルダーとディフェンダーとして活躍した。

ボール奪取能力と巧みなマークを得意とした選手で、イタリアの歴史上でも最高クラスの「インコントリスタ」として知られる。しかもキャリアを通して一度も退場することがなかったというクリーンな守備者であった。

AMF:サンドロ・マッツォーラ

インテル所属:~1977

トリノの選手が乗る飛行機が墜落した「スペルガの悲劇」により亡くなった名FWヴァレンティーノ・マッツォーラの息子。1960年にインテルのアカデミーからトップに昇格し、鉄壁の守備「カテナチオ」を武器とした伝説のチーム「グランデ・インテル」の中心選手となった。

イタリア代表でも70試合に出場して22ゴールを奪い、1968年のEURO優勝に貢献した。圧倒的なスピードに素早さと巧みさを兼ね備え、エネルギッシュで多才な選手であり、創造性を武器とする司令塔でありながらも強烈なシュートを放つストライカーでもあったと伝えられている。

FW:マルコ・デルヴェッキオ

インテル所属:~1992、1994~1995

ローマで長く活躍したことで知られる献身的フォワード。中田英寿ともプレーしたことで知られる彼であるが、実はインテルの下部組織出身だ。一度プロデビューしたあとにヴェネツィアとウディネーゼを経て復帰。そして1年後にローマへと引き抜かれていった。

大柄で細身の体格を持ち、パワフルで巧みなプレーができ、空中戦も強く、中盤もこなすなどチームのために働くことができるタイプであった。イタリア代表としても22試合に出場し、2002年ワールドカップにも参加している。

FW:マリオ・バロテッリ

インテル所属:2006~2010

ジュゼッペ・シニョーリと悩んだが、イタリア代表としてはバロテッリのほうが活躍したということでこちらを選んだ。ルメッツァーネから2006年にインテルのアカデミーへと移籍し、2007年にトップチームへと昇格。17歳で初ゴールを決めるなどして大きな注目を受けた。

そして2010年にはマンチェスター・シティへと引き抜かれてイングランド・プレミアリーグへ。それからACミラン、リヴァプール、ニース、マルセイユなどでプレーした。現在はスイスリーグのシオンに所属。

FW:ジュゼッペ・メアッツァ

インテル所属:1924~1940、1946~1947

インテルのホームスタジアムに名前を残している伝説のFWジュゼッペ・メアッツァ。もともとミランのファンであったがトライアルに合格できず、インテルに入団したという経験を持つ。そして1927年にプロデビューし、その試合で2ゴールを決めた。

それから長くストライカーとして活躍。1938年からは怪我に悩まされてミランへ移籍し、その後ユヴェントス、ヴァレーゼ、アタランタでプレーした後選手兼監督としてインテルに呼び戻されている。そして低迷していたチームの降格を救う2ゴールを決め、現役を引退した。

© 株式会社ファッションニュース通信社