【原発被災地の今】静岡の人たちへ伝えたい思い 福島出身のジャーナリストが浜松市で講演

東日本大震災、そして福島第一原発の被災地で発災直後から取材を続けてきた、福島県相馬市出身のジャーナリストが、先日、浜松市で講演した。震災13年目の今、静岡の人たちに伝えたい思いとは。

福島県相馬市出身のジャーナリスト、寺島英弥さん。新聞社に勤務していた2011年、宮城県で被災し、退職後も古里でもある被災地で取材を続けている。

(ローカルジャーナリスト 寺島英弥さん)

「2012年に撮った公民館の黒板、この時には必ず帰ると気持ちは一つだった、必ず帰ってくると約束をみんなでしたが、もうほとんど消えてしまった」

講演会では、5月、撮った写真を交え、10年以上取材を続けている飯館村の現状を報告した。6年前(2017年)に避難指示が解除されてからも、多くの住民は戻って来ないという。放射線量が高い浪江町では、未だ広い範囲で帰還困難区域となっている。住民たちは古里の風景を残そうとDVDを作った。こうして復興とはほど遠い、まだ終わっていない原発事故の現状が伝えられた。

(浜松市から参加)

「ここにも浜岡の原発ありますけども、近くの住民、浜松も含めて本当に将来のことを住民一人一人が考えなくてはと強く感じた」

(静岡市から参加)

「宮城とか岩手とか、津波の被害とはまた違った被害、放射能というのはだいぶ残る、きょうの話を聞いてやはりまだ終わってない」

寺島さんは今後も、ローカルジャーナリストとして、ふるさとの現状を伝えていきたいと話す。

(ローカルジャーナリスト 寺島英弥さん)

「今、記念日報道という言葉があるが、3月12日から(翌年の)3月10日のまでの間にもいろんなことが起きている、どんな努力をしてどんなあきらめがあり、どんな決心をしたかを、一つ一つ伝えていきたい」「そうすると3月11日の意味も分かってくるのではないか」

そんな寺島さんが静岡の人たちへ伝えたいこととは。

(ジャーナリスト 寺島英弥さん)

「南海トラフ地震、原発という暮らしのバックグラウンドがある、だからこそ東北であった経験をシェアしてほしい、そういうことが起きると何が起きるのか、例えば避難経路は大丈夫か、点検、チェック、見直しに生かしてほしい」「そしてやっぱり、ある日、突然起こるものなので、東北の人間は誰も3月10日までそんなことは思ってもいなかった、ある日突然起きることなのでその日のための備えはしっかりしてほしい」

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