「県民の歌」誕生秘話明かす 作曲の故川島さんと活動した佐藤さん

県民の歌を作曲した川島さん(左)を訪ね、逸話を聞いた佐藤さん=2012年6月、名古屋市

 県民の郷土愛を高めようと、1962年に制定された「県民の歌」。作曲者の故川島博(かわしまひろし)さんと音楽活動を共にしたことがある那須塩原市緑2丁目、作曲家佐藤愛(さとうあい)さん(76)は11年前、川島さんから直接、制作に関する逸話を聞いた。実は当初、作曲する予定はなく、思いがけず県民の歌の公募に参加したのだという。佐藤さんは「曲ができて60年あまり。もう一度、曲の素晴らしさを見直してほしい」と思いをはせる。

 足利市出身の川島さんは、東京芸術大や桐朋学園大で作曲を学び、愛知教育大などで教壇に立った。70年代前半、名古屋市内の作曲者の集まりがあり、川島さんと愛知県出身の佐藤さんは知り合った。コンサートで作品を発表するなど、音楽活動を共にした。佐藤さんは「作曲家は個性的な人間が多いが、川島先生はいばることがなく、人格者だった」と振り返る。

 佐藤さんは約20年前、那須塩原市に移住した。そして川島さんが県民の歌を作曲したことを知った。「これは何かの縁かもしれない」。佐藤さんは2012年6月、川島さんを訪ねた。

 県民の歌は1962年、県民や県出身者から詞と曲を公募した。佐藤さんによると、川島さんは当初、作曲する予定はなかったという。ただ義兄の応募作を添削する中で、自分も曲を作ろうと気持ちが変化。そして、おなじみのあのメロディーが生まれた。川島さんは当時、29歳だった。

 川島さんは公募で選ばれた賞金で、家族に京都旅行をプレゼントした。飛行機から見えた富士山に母親がとても感動したという。「親孝行ができた」とうれしそうに話した姿を佐藤さんは覚えている。

 県民の歌がカラオケ配信された2014年の年賀状には、「多くの人々の希望でカラオケに参入することになり、楽しみにしております」と、曲が浸透していく様子を喜んでいた。

 「すっきりしていて上品で、優れた作品。伴奏がなくても音が取りやすい」と佐藤さん。講師として那須塩原市内の2カ所で開いている歌の会では、毎年6月になると「県民の歌を歌いたい」と要望が寄せられるという。「良い曲が残されて、県民は幸せですね」。佐藤さんは目を細めた。

川島さんとの思い出を語る佐藤さん=5月下旬、那須塩原市

© 株式会社下野新聞社