223.8キロの珍道中 「長崎街道」を踏破! 川副さんと木浦さん

長崎街道の終点、常磐橋で記念写真に納まる川副さん(左)と木浦さん=2022年10月18日、北九州市(木浦さん提供)

 「竹やぶの中を歩いて歩いて、ようやく抜けたと思ったらよその家の庭だった」-。江戸時代、長崎から小倉までを結び、西洋文化を伝える幹線だった長崎街道を約1年半かけて歩き継いだ長崎市西山3丁目の川副忠子さん(79)と同市鳴滝1丁目の木浦妙子さん(76)。6月中旬、長年の友人の2人は市内で、踏破した道のりの報告会を開き「珍道中だった」と振り返った。
 ことの始まりは2021年6月。「長崎街道、歩かん?」という川副さんの投げかけに、深く考えることもなく木浦さんが「はい」と応じたことだった。旅のお供は古地図「伊能図で甦る古の夢 長崎街道」。ルートの参考にしようと全てのページをコピーしたのだが、歩き始めると、山の開拓に道路の整備、新幹線の開通などまちの変化を感じることばかり。川副さんが「ここらへんに問屋があったはず」などと説明しながらの道のりだった。
 長崎街道を歩いた木浦さんの印象は「交番が少ない」。諫早市小船越町で落とし物の財布を見つけ、すぐに警察に届けようとしたのだが、探せど探せど交番がない。この時ばかりはスマートフォンで検索し、諫早駅前交番に届けた。
 「トイレもない、休憩所もない、食べるところもない…」と感じたのは東彼東彼杵町あたり。車がものすごいスピードで走っていくのを横目に「こんなにも国道って歩きにくいのね」と思った。
 同町の廃校した旧大楠小を通り過ぎ、竹やぶに突入したときにはこんなことも。歩き続け「ようやく抜けた」と辺りを見ると、何やら端の方でおばあさんが一生懸命作業をしていた。2人は「誰かのお庭だ」と顔を見合わせ、心の中で「通らせていただきます」と念じ、そっと通過した。
 そんな珍道中だったが、長崎街道と記された石碑を見つけると「私たちの道のりは間違ってなかったんだ」と安心した。歩き進めるにつれて、石碑を見つけるのも早くなった。一方、探している目印が見当たらず「どこだどこだ」と畑の周りやあぜ道をぐるぐる3周ほど回った日もあった。
 1カ月に1~2日ずつ歩き、再スタート地点にはバスや電車などで向かった。場所によっては歩き直しもした。道に迷ったことも含めると「長崎街道は223.8キロと言われているが、絶対にそれ以上歩いた」と2人は話す。ルートを調べ尽くし、知識を生かしながら道中を進んだしっかり者の川副さんと、カメラに自然豊かな景色を収めたり、まちの人々に話しかけたりしながら歩く陽気な木浦さん。「弥次喜多コンビで楽しかった。何より病気をすることなく、けがをすることなく、無理をしなかったから元気に歩き切れた」と道中を総括した。

山の中を歩く川副さん=2021年9月20日、諫早市(木浦さん提供)

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