存在がチート。どうやっても止められないJリーグで活躍した外国籍ストライカー5人

これまでJリーグで多くの外国籍選手が活躍してきたが、中でもどう対策しても止められないストライカーが驚異的な活躍を見せた。

彼らは圧巻のプレーで無慈悲に得点を重ね、多くのJリーグクラブサポーターを震撼させた。

今回は優れた個人能力で得点を重ねた外国籍ストライカー5人を紹介する。

Jリーグを震撼させた超速アタッカー

エメルソン

国籍:ブラジル、カタール

主に活躍したチーム:浦和レッズ

速い、強い、上手いと3拍子が揃った快速アタッカー・エメルソンは、ブラジルで年齢詐称の問題からコンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)に移籍し、J2で34試合31得点をマークした。翌シーズンは川崎フロンターレに移籍してJ2で18試合19得点と出場以上のペースでゴールを量産した。

2001年に浦和レッズに移籍してからは、圧巻のテクニックと化け物じみたスピードで得点を量産。2003年はJリーグMVPを獲得し、翌シーズンは26試合27ゴールでJ1得点王に輝いた。

素行面に問題があり、出生証明書の悪用などで逮捕歴もある。カタール国籍を取得してカタール代表として試合に出場したが、後に代表選手として試合に出場する資格がなかったことが判明するなど、トラブルメーカーとして世界に名をとどろかせた。

誰も止められなかった浪速の黒ヒョウ

パトリック・エムボマ

国籍:カメルーン

主に活躍したチーム:ガンバ大阪

キャリアを始めたフランスでは思うような活躍を果たせなかったが、1997年にJ1ガンバ大阪に移籍するとその潜在能力を開放した。

尋常じゃない身体能力と並外れた得点能力で、1997年シーズンにリーグ戦28試合25得点を挙げてJリーグ得点王の座についた。

G大阪退団後はイタリアのカリアリやパルマでプレーし、2003年に東京ヴェルディ1969へ移籍してJ1戦23試合13ゴールと結果を出した。

フィジカルがチート過ぎた浦和の英雄

ワシントン

国籍:ブラジル

主に活躍したチーム:浦和レッズ

アトレチコ・パラナエンセで驚異的な活躍をしていたワシントンは、2005年に当時J1東京ヴェルディへ加入し、同年シーズンにリーグ戦33試合22得点を挙げる圧巻の活躍を見せた。

翌シーズンに浦和レッズへ加入し、人間離れした体の強さと破壊的な決定力でゴールを量産してリーグ戦26試合26得点でJ1得点王に輝いた。優勝を争うガンバ大阪との最終節での直接対決で2得点を奪ってチーム初のJ1制覇に導く勝負強さも見せた。

2006年シーズンは相手チームの対策が進んで26試合16ゴールと昨季より10得点減ったが、チーム初となるアジアチャンピオンズリーグ優勝やクラブワールドカップ3位進出に貢献した。

記録にも記憶にも残るアフリカのゴールハンター

マイケル・オルンガ

国籍:ケニア

主に活躍したチーム:柏レイソル

ここ5年で最も名前をとどろかせたストライカーは、間違いなくオルンガだろう。2018年にJ1柏レイソルに加入するも、リーグ戦10試合3得点と思ったようなパフォーマンスを披露できなかった。

だが、J2に降格した翌シーズンにその類まれな才能を開放した。J2最終節に行われた京都サンガF.C.戦で8得点を記録してJリーグの1試合最多得点記録保持者となる人間離れした結果を出した。

J1に復帰した2020年シーズンは超人的な空中戦の強さと並外れたスピードで得点を荒稼ぎし、リーグ戦32試合28ゴールとJリーグMVPとJ1得点王に君臨した。

J史上最強のレフティーゴッド

アラウージョ

国籍:ブラジル

主に活躍したチーム:ガンバ大阪

ブラジルのゴイアスで英雄的な活躍をしていたアラウージョは、2004年にJ1清水エスパルスへ移籍するも、リーグ戦29試合9得点と一定の成果を挙げた。

翌シーズンにガンバ大阪に移籍すると、神がかった活躍を見せる。リーグ戦33試合33得点と外国籍選手最多得点(Jリーグ史上最多得点は中山雅史の36得点)の活躍でJ1得点王、JリーグMVP、日本年間最優秀選手賞を獲得した。

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アラウージョが奪った33得点は、国際サッカー歴史統計連盟が発表した2005年の世界得点ランキングで1位(非公式記録)。アラウージョが33得点を記録して以来、Jリーグで30得点台に到達した選手は未だに現れていない。

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