ろうあ者の被爆体験 手話による紙芝居 新たな手法で貴重な「声」後世に 全通研長崎支部が制作中

2月に開かれた山﨑さんをしのぶ会。参加者は生前の写真で懐かしんだ=2023年2月12日、長崎市元船町、平安閣サンプリエール

  これまで多くは語られてこなかった、ろうあ者の被爆体験。全国手話通訳問題研究会長崎支部(長野秀樹支部長)は、ろうあ者の手話による紙芝居という新たな手法で後世に貴重な「声」を伝え残す準備を進めている。長野さんは「総体としての被爆体験を継承していくためにマイノリティーの声も重要だ」と話す。
 同支部は1983年の設立以来、支部員がろうあ被爆者の体験を手話で聞き取り、書き残してきた。長野さんによると、長崎で被爆したろうあ者は約100人と推定。これまで約30人分を記録したが、被爆者も支部員も高齢化が進み、活動が先細りする中、次の展開を模索してきた。
 支部員は10年ほど前から、長崎原爆資料館(長崎市平野町)で上演される原爆紙芝居の手話通訳を経験。ノウハウもあり「幅広い世代に有効なツール」(長野さん)として、紙芝居を選んだ。ただ、通常は文章を読む声に手話を合わせるが、今回は手話が主役。県ろうあ協会の協力を得て、当事者が手話で語り、それに合わせて支部員が文章を読み上げる形で進行する。イラストも絵が得意なろうあ者が担うという。
 題材にするのは、手話の語り部として平和を訴え続けた山﨑榮子さん=2022年12月に95歳で死去=の人生。03年に長崎市の平和祈念式典で被爆者代表として手話で訴えた「平和への誓い」や、協会員向けに戦後の暮らしについて手話で残した映像などを基に構成する。18歳の時に入市被爆した状況や子育ての苦悩、語り部として決意や晩年の生活などが描かれる予定だ。
 長野さんは「当事者にとって第1言語の手話で語ることで伝わり方が違う」と強調。一般の人たちに、ろうあ被爆者という存在を知ってもらうと同時に、ろう学校の子どもたちにも見てもらい「社会の中で役割を果たした山﨑さんの生きざまに触れ、手話という言語に誇りを持ってほしい」とする。近年、テレビドラマの影響で手話に関心を持つ人が増えているといい、紙芝居を通じ、手話の普及にも期待している。
 今回の取り組みは、本年度の「長崎市平和の新しい伝え方応援事業」の補助対象に選ばれた。紙芝居は11月に長崎市で開かれる同支部設立40周年の式典で披露する予定。

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