中小企業勇気づけた経済小説「下町ロケット」 「池井戸ワールド」の舞台歩けば、作品に光る細部の描写

ドラマ「下町ロケット」の番組宣伝を模したパネルを持つ佐藤慎介さん=たつの市揖西町土師、佐藤精機たつのテクニカルセンター

 次々とテレビドラマ化される池井戸潤の作品群。大ヒット作「半沢直樹シリーズ」「下町ロケットシリーズ」「シャイロックの子供たち」「ルーズヴェルト・ゲーム」「陸王」…。サラリーマンや銀行マン、町工場の職人らに光を当てた痛快なドラマは「池井戸ワールド」として定着した。

 本作は東京都大田区の町工場を舞台にした人情味たっぷりの企業ドラマで第145回直木賞に選ばれた。主人公は、宇宙科学開発機構の研究者の道をあきらめ、家業の精密機械製造の中小企業「佃製作所」を継いだ佃航平。資本金3千万円、従業員200人。小規模ながら高い技術を持つ同社は、ロケットエンジンのキーテクノロジーでもある画期的なバルブシステムを開発する。しかし商売敵の大手メーカー、ナカシマ工業から理不尽な特許侵害で訴えられる。圧倒的に形勢不利な中で取引先を失い、資金繰りに窮する。

 創業以来の危機にある中、国産ロケットを開発する巨大企業、帝国重工が佃の製作した部品の特許技術を求めてきた。この分野で特許が取れなかった帝国重工にとっては必要不可欠な技術だ。一方、喉から手が出るほど資金がほしい佃の社内はこの提案にざわめく。

 幹部による緊急ミーティングで佃は部下の営業第2部長唐木田(からきだ)篤から批判される。

 突如怒り出したのは、唐木田だ。「そんなリスクを取らないでも、巨額の特許使用料が入るんですよ。しかも相手は天下の帝国重工で、取りはぐれる可能性もない」 「カネの問題じゃない」。佃は断言した。「これはエンジンメーカーとしての、夢とプライドの問題だ」 テーブルを囲んでいたメンバーは鉛でも飲み込んだような顔で言葉を失った。 (引用は抜粋、省略。以下同)

### ■地域で踏ん張る

 構成力に長(た)け、物語の展開が早く、登場人物のキャラクターが分かりやすい。「痛快なエンターテインメント小説」と評価されるが、本作品は地域で踏ん張るものづくり企業を勇気づけたところが大きい。

 姫路市の切削加工、佐藤精機は「田舎町ロケット」を掲げる。社員約45人、創業68年の中小企業は「どんな素材でもあらゆる形状に削ることができる」と社長の佐藤慎介(65)。人工衛星を打ち上げるH2ロケットに携わり、H3ロケット向けにはエンジン用バルブの一部を試作した。小惑星「リュウグウ」から地球に届けられる分析用試料を地上で運ぶ容器も製作した。「ドラマの下町ロケットだってロケットだけをやっているのではなく、いろんな部品をこなしている。まさにロケット品質。うちもそこを目指したい」。ちなみに作品のテレビドラマ化の際は、人型ロボットが並ぶグローリー(姫路市)の埼玉工場(埼玉県加須(かぞ)市)がロケ現場に使われた。

### ■光る細部の描写

 作品の細部に目を凝らすと取材に基づく町工場の描写が光る。帝国重工の宇宙航空部開発グループ部長財前道生が佃製作所の工場を視察する場面。すれ違う社員があいさつし、クリーンルームなど環境面の設備投資ができている。そして何より作業工程では手作業で鉄板に穴を開け、そこにネジを埋め込んでいる。

 その穴は、まるで精密な機械でも使ったかのように、垂直に穿(うが)たれていたからだ。手作業で、これだけ精緻に鉄板に穴を開ける工員は、見たことがなかった。 「穴を開ける、削る、研磨する-技術がいくら進歩しても、それがモノづくりの基本だと思う」 佃の言葉は説得力を持って、財前の肚(はら)に落ちた。

 帝国重工は、この工場の雰囲気、技術、バルブ性能を見て、「特許技術を使った自社製品を供給したい」という佃製作所の提案を受け入れる。航平の「ロケットを飛ばす夢」が実現に向かう。

 佃製作所製のバルブシステムを搭載したエンジン燃焼実験が行われる。しかし、バルブが動作せず、異常値が出て実験は失敗に終わる。しかし、これはもともと社内で不合格となっていたバルブだったのだ。技術者たちの苦闘、社内の人間模様、経営者の判断…。それまでの社内のあつれきが一気に解消にむかう感動のハッピーエンド。

 挑戦の終わりは新たな挑戦のはじまりだ-。祝勝パーティーで佃はこんなスピーチをする。ロケットエンジンに搭載されるような高品質のバルブ特許。その技術を次世代の佃製作所を担う柱に育てるべきではないか。

 人工心臓、か…。 いままで考えてもみなかった。 「おもしろいじゃないか」 デスクの電話を取り上げ、すぐに山﨑(技術開発部長)に電話をかけた。 「ちょっと来てくれ。新しいビジネスが生まれるかも知れない」(敬称略)

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 経済小説は「新聞記事の行間を埋める」と評される。作家は取材で事実を集め、想像力を交えて創作する。虚が実を強め、実もまた虚を強め、結果としてリアリティーが増す。モデルの人物や舞台、背景に迫る。(特別編集委員・加藤正文)

【いけいど・じゅん】1963年岐阜県生まれ。銀行員、コンサルタント業などを経て、98年「果つる底なき」で江戸川乱歩賞を受賞。2010年「鉄の骨」で吉川英治文学新人賞。11年、「下町ロケット」で直木賞。小学館刊。下町ロケットシリーズは4作に及ぶ。

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