「声」を確かめる日

 〈君の出征に臨んで言って置く〉という言葉で、手紙は始まる。24歳の小泉信吉が出征する直前、1941(昭和16)年12月に、慶応大の塾長を務めた父・信三が息子に一筆したためた▲父は書く。〈僕は若(も)し生(うま)れ替(かわ)って妻を択(えら)べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々(われわれ)二人は必ず君を択ぶ〉…▲翌年、息子は戦死する。父はこの手紙や息子をしのぶ文章、信吉が出征後に送ってきた手紙を収めた限定本をつくり、身近な人に贈ったという▲どんなに勧められても一般向けの出版は拒み、信三の没後に本は出された。270ページに及ぶその本「海軍主計大尉小泉信吉」は復刻版が今も残る。まれな例だろう▲20年ほど前、フィリピンの島への出征体験を、80歳の手前で記録し始めた方に話を伺ったことがある。「今の世の中、戦争の痛みや戦後の苦労が積み重なってできたことが忘れられている。放っておけん気持ちがある」という言葉を記事にした。1冊の記録集を残し、その方は亡くなった▲息子の追悼本も、出征の記録も、それを書かずにいられない人が書き残した。歳月の流れに任せて、それらを古びるままにしていないか。鎮魂と慰霊の「終戦の日」は、戦争を語る「声」を確かめる日でもある。(徹)

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