原爆投下に至る歴史 加害と被害の両面から議論 原爆資料館リニューアル運営審議会小委員会

歴史認識について意見を交わした委員=長崎市平野町、長崎原爆資料館

 長崎市が2025年度に予定する長崎原爆資料館のリニューアルについて、専門的見地から議論する運営審議会小委員会の第2回会合が24日あった。歴史認識を含む「原爆投下に至る歴史」が議題。第2次世界大戦前からの日本によるアジア侵略などの「加害」と、米国の原爆投下という「被害」の両面から議論が交わされた。
 国際政治史が専門で慶応大教授の細谷雄一委員は、来館者に「原爆投下を避ける道がなかったのか」と教訓を考えてもらうため、世界史における日本の動きを整理して説明する必要があるとした。
 第1次世界大戦後の日本は、新たな国際規範のパリ不戦条約(1928年)などに反し、満州事変(31年)や日中戦争に突入。細谷氏は「『平和思想』を育もうという世界の潮流を壊した」と指摘する。日本は満州事変の直後、中国で一般市民に対する戦略爆撃も行っており「広島と長崎(への原爆投下)に帰結する端緒が、日本だったという反省を、もう少し展示で伝えられるのではないか」と語った。
 軍備管理や軍縮に詳しい長崎大教授の西田充委員も「日本の被害しか伝えなければ、中国や韓国の批判を受ける」として加害の側面を伝える必要性を認める半面、日本の加害行為が原爆投下に直接結び付いたような展示内容にすると、核兵器使用もやむを得ないとの誤った受け止められ方をすると懸念。「核兵器使用はどんな理由があっても許されない、というメッセージも伝えることが必要」と強調した。
 長崎大原爆後障害医療研究所長の中島正洋委員は「日本は被害者であり、加害者でもある。日本が人体実験をしていた事実なども知らせる必要がある」と述べた。

© 株式会社長崎新聞社