日本のパラ史上最年少、13歳で初出場 昨秋現役を引退した競泳銅メダリストが「出し切った」と振り返る競技人生

5大会連続パラリンピック出場など完全燃焼した現役時代を振り返る山田拓朗さん=東京都内

 日本のパラリンピック史上最年少となる13歳で初出場してから、5大会連続で大舞台に立ってきた。パラ競泳の山田拓朗さん(32)が昨年9月、現役を引退した。「もう泳ぎたくないと思うほど、すべてを出し切った」。ラストレース後の言葉だ。どんな道を歩めば、そう言えるのだろう。山田さんが勤めるNTTドコモ(東京)の本社を訪ねた。(土井秀人)

 スーツの下には、しなやかで強靭(きょうじん)な肉体が潜むことがありありと分かる。

 一番思い出に残っているレース? 難しいですね。でも一つ選べと言われたら、2016年のリオデジャネイロ大会だと思います。結果的に最高成績(50メートル自由形で銅メダル)ですし、今までに味わったことのない不思議な感覚がレース前からあった。当然、メダルを取りたい気持ちはあったけど、自己ベストを出すことだけにフォーカスしていました。

 現役中は、メダルを競技生活のハイライトにするつもりはなかった。その瞬間の順位でしかないので。過去のある地点の成果ではあるけど、まだ進んでいるんだって感じでした。

 生まれつき左腕の肘から先がない。水泳を始めたのは3歳の時だった。

 記憶はないけど、水をすごく怖がっていたようです。お風呂に入るのも嫌がった。水に慣れてほしいという親の思いで、スイミングに通った。最初はコーチに抱っこされて泣いていたそうだけど、すぐに慣れた。進級したらもらえるワッペンが欲しくて。飛び級もあり、とにかく上へって気持ちがモチベーションでした。小学校に入るころにはバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールの4泳法ができるようになった。

 小学2年で神戸市西区から三田に引っ越し、近くのスイミングスクールに移った。すぐに選手コースに呼ばれ、周りのチームメートはみんな五輪を目指していた。

 健常の子たちと毎日のように練習していました。泳ぐスピードを含めて全く遜色なく、自分も同じようにオリンピックを目指していた。届かないという思いはなかった。

 障害者の水泳チーム「神戸楽泳会」にも所属しました。そこの先輩が00年のシドニー大会で金メダルを取り、練習会で見せてくれた。パラリンピック自体あまり知らなかったけど、メダルがかっこいいと思った。大きくて、重くて、すごいインパクトだった。漠然とそこを目指したいと思いました。

 小6で出場した障害者スポーツのアジア大会「フェスピックユース大会」は2種目で金、1種目で銀だった。

 当時、国内では大人も含めてほぼ敵がいない状態。県内では健常の大会でも上から5番目以内には入っていた。それが200メートル個人メドレーで負けた。障害のある同年代に負けるなんてイメージしてなかったので衝撃でした。初めてちゃんと悔しかった。悔しかったけど、世界を知ってよりのめり込みました。

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 コロナ禍ほど、人に会うことの意味を考えたことはありません。制限がなくなった今、その喜びをかみしめています。随時掲載の企画「会う×聞く」の新春特別編として、記者が三田ゆかりの3人を訪ねました。

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