元日震災、帰省者も犠牲に

珠洲市正院町で、倒壊した家屋に置かれた正月のしめ縄=5日午前8時33分

  ●普段より多い人口、正月で人的被害が拡大

 祭りの日と並び、奥能登の「人口」が一番多くなる日に大震災が起きた―今回の能登半島地震を言い表す特徴の一つは、能登出身者やその家族が里帰りで訪れる「元日」に発生したことだ。

 少子高齢化と人口減少に悩む奥能登も、正月には、市外から祖父祖母の家にやって来た孫たちの笑顔が広がる。この日ばかりは人口が増える。そんな1月1日に、未曾有の震災が能登を襲った。

  ●親族10人集まる

 輪島市で倒壊家屋の下敷きとなって亡くなった富山市の中学1年生。七尾市能登島で祖父とともに命を落とした東京の20代女性。亡くなった人の中には帰省者が多く含まれ、正月というタイミングが人的被害を拡大させた側面がある。

 穴水町由比ケ丘地区では親族10人が集まっていた家が土砂に埋もれた。普段は70代の夫婦2人暮らしだが、金沢に住む50代長女と15~24歳の子ども4人、長男夫婦と子ども1人が訪れていた。6日までに3人の死亡が確認され、残る7人の捜索が続く。

 関係者によると、地元住民は当初、倒壊家屋に閉じ込められたのは「70代の夫婦2人」だけと思い込んでいた。だが、仕事で金沢に残っていた50代長女の夫が妻と連絡がつかないことを穴水町や警察に相談し、若い家族が巻き込まれていることが判明した。初動が遅れ、重機を使った本格的な捜索が始まったのは地震発生から4日後だった。

 珠洲市仁江(にえ)町でも帰省家族の小学生と園児の子ども3人を含め9人が土砂に巻き込まれ亡くなった。元日の家族団らんを地震が直撃したことを物語る。

  ●想定より避難多い

 「各家庭にいる人数が普段と違うため、被災者数を把握するのが難しい」

 2人が死亡し、4千人以上が避難生活を送る能登町の道下政利危機管理室長は2日夜、焦りを募らせた。

 道下室長によると、元日の震災は避難所でも想定外の事態を招いた。能登町も普段は「高齢者ばかりの町」だが、帰省者も避難所に身を寄せることから「想定より避難者が多い」。その結果、食料などの備蓄量が足りない避難所も出る恐れがあるというのだ。

  ●年老いた親を子が救う

 一方、正月で「若い人たち」が帰省していたため、年老いた親の命が救われたケースもある。

 「私が帰省していなかったら死んでいたと思います」。輪島市門前町の実家に帰省中、震災に遭遇した津幡町の男性(50)は率直に語る。

 壊れた実家のアルミサッシなどを外に放り投げて、認知症が進む父(82)の車椅子が通る道を確保し、自主避難所に連れて行った。

 だが「元気な人が避難しているところに要介護者を連れて行くと遠慮が出る」。壊れた自宅に老父を連れて戻り、「シモの世話」にいそしんだ。「父には流動食に近いものを食べさせなきゃならない。避難所で炊き出しがあっても食わせられないんです」

  ●老母を引っ張り出す

 穴水町北七海の湯口潔さん(92)は金沢から帰省していた息子に支えられて避難した。「死ぬかと思うほどすごい揺れで、家の柱にしがみつくしかなかった。家族がおらんかったら、あそこから動けんかった」

 輪島市では、家屋の下敷きとなったものの、帰省していた息子(66)に引っ張り出され、命拾いした老母(90)もいた。

 各地の避難所で「若い人がいるおかげで、ポリタンクの水など重い物も運べる」「子どもが避難所にいると気持ちが少し明るくなる」などの声が聞かれる。

 だが、それで「なぜ元日に震災が…」とのやり場のない思いが消えるわけではない。災害対策にあたる石川県幹部は、帰省者が多い元日に震災が起きたことで被害が広がったとの認識を示し、こう指摘した。「地元自治体も帰省者らの全容は把握できていない。犠牲者はまだまだ増える」

地震で全壊し、津波の被害も受けた自宅から布団などを運び出す親子=4日午前10時14分、珠洲市

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