アイバーソンが“最も優勝に近づいた”2001年NBAファイナルを回想「1勝しただけでは満足できなかった。しかし…」<DUNKSHOOT>

4度の得点王に輝くなど、2000年代屈指のスコアラーとして名を馳せたアレン・アイバーソン。14年間のキャリアでNBAタイトル獲得は果たせなかったが、最も優勝に近づいたのがファイナルに進出した2000-01シーズンだった。「チャンピオンシップのためなら全てを捧げるつもりだった」と、23年前を振り返っている。

1996年のドラフト全体1位指名でフィラデルフィア・セブンティシクサーズに入団したアイバーソンは、ルーキーイヤーからエースの座に君臨。切れ味鋭いドリブルを武器に得点を量産し、“The Answer”の愛称で人気を博した。2000-01シーズンには2度目の得点王に輝くとともに自身初となるシーズンMVPを獲得し、NBAファイナルにも進出した。

キャリア中盤以降はデンバー・ナゲッツ、デトロイト・ピストンズ、メンフィス・グリズリーズ、トルコのベシクタシュと渡り歩いたが、「大事なのは身体のサイズじゃない。“ハートのサイズ”だ」の名言とともに大男たちを切り裂く姿は人々の記憶に刻まれた。通算2万4368得点は歴代28位にランク、2016年にバスケットボール殿堂入りを果たし、21年にはNBA75周年記念チームにも選出された。

今年4月にはシクサーズの練習施設前に銅像も建てられたレジェンドは、ポッドキャスト番組『The Knuckleheads』で、キャリアベストと言える2000-01シーズンを振り返った。

「個人賞に関しては欲しいものは全て手に入れたし、チャンピオンシップのためなら全てを捧げるつもりだった。戦いの中で、左を見ても、右を見ても頼もしい仲間がいる。NBA選手として、最高の気分だった。対戦相手が誰であろうと、仲間たちはみんな、俺がいるチームにはチャンスがあると感じていた。

あのファイナルでは(ドラフト同期の)コビー(ブライアント)と対戦したけど、彼は普通だった。シリーズを支配してはいなかった。それをやっていたのはシャック(シャキール・オニール)だ。ディケンベ(ムトンボ)がシャック相手にいい仕事をしていたとみんなは言っていたけど、平均35得点、15リバウンドと、とんでもなかったよ」
ファイナル第1戦、シクサーズは延長戦を含む53分間のうち52分57秒プレーしたアイバーソンが両チーム最多の48得点をあげて先勝する。前年王者のロサンゼルス・レイカーズはそれまで無敗でプレーオフを勝ち上がっており、結果的にこの試合が唯一の黒星となった。

アイバーソンはその後もチームを牽引し、シリーズ平均35.6点、5.6リバウンド、3.8アシストを記録したが、平均33.0点、15.8リバウンド、4.8アシスト、フィールドゴール成功率57.3%の成績でファイナルMVPに輝くシャックを抑えることができず、4連敗を喫してリーグ優勝を逃した。

アイバーソンは、「俺たちはシリーズに勝てなかった。彼ら(レイカーズ)は『君たちは1試合に勝ったけど、優勝したのは俺たちだ』と言うだろう。ただ、俺たちも彼らを倒すことができるとわかったから、いい気分だった。シリ-ズを制することができると信じていた」と語りつつ、第1戦後の胸中を明かしている。

「(勝利後の)ロッカールームで、『俺たちはまだ何も成し遂げていない。彼らはスウィープで勝ち上がってきている』と言ったんだ。それが俺の考えだった。1勝しただけでは満足できなかった。しかし第2戦ではデレック・フィッシャーに3ポイントを決められた。第3戦は(91-96と)惜敗だったけど、そのあとは意気消沈してしまった」

“無冠のレジェンド”の代表格でもあるアイバーソン。NBAキャリアの中で1回でも優勝を果たせていれば、その評価は大きく違ったのかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

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