「油断は禁物」のCL決勝に挑むマドリーはなぜ強さを継続できるのか。元指揮官の見解「スムーズな世代交代は強化戦略の賜物」【現地発コラム】

今夜、チャンピオンズリーグ(CL)決勝に臨むレアル・マドリーには、旅の終わりと始まりを予感させるものがある。

6度目のビッグイヤー獲得を目ざす者たちにとっては集大成の試合であり、ジュード・ベリンガム、ヴィニシウス・ジュニオール、そしておそらくはキリアン・エムバペらトップをキープしたまま聖火を掲げ続ける義務を負う選手たちが成熟することで、その始まりは定義されるはずだ。

去ろうとしている者も残る者も、熱狂的なファンに支えられた難敵、ボルシア・ドルトムントが待ち受ける。

決戦を前にしてここ数日、最もよく耳にするのは「油断は禁物」という言葉だ。これはマドリーが有利であることを当然視している意見に潜む過信を暗に意味している。

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もっともマドリディスタが本当に心配しているのは、対戦相手のことよりも、サッカー特有の裏切り者という性質に対してだろう。そこに乗っかるようで申し訳ないが、私は平均的なファンの代表なので同じことを言わせてもらう。「油断は禁物」であると。

ここで視点を広げて考えてみよう。マドリーのようなメガクラブにおいて時の流れとともに生きていくのは決して簡単なことではない。

今世紀に入ってから、史上最高のバルセロナ、クリスティアーノ・ロナウドの退団とそれに伴う毎シーズン、50ゴールの損失、セルヒオ・ラモスの退団と彼の比類なきリーダーシップの喪失、今夜、さらに株を上げて星になるかもしれないフロレンティーノ・ペレスの電撃辞任と驚きの復帰などに直面しなければならなかった。

私は、サッカーチームというのはガラスでできていると知って育った。この栄光の夜を前にして、私が自問するのは、「どうしてこのマドリーというチームのガラスは鎧のように見えるのか」ということだ。

我々はすでに、タレントについて、カルチャーの継承について、サンティアゴ・ベルナベウの力について語り尽くしてきた。運についても。別の視点から見てみよう。

歴史が築き上げてきたマドリーの強固なカルチャーを手放すとどうなるか? サッカー選手は、階段を1つ降りることを極端に嫌がる。そしてマドリーを去った大半の選手は、キャリアが下降線を描くことを余儀なくされる。そんな中、私ができるアドバイスがあるとすれば、それはマドリーの選手を決して獲得してはならないということだ。

より解釈の難しい話題に移ろう。マドリーでは、誰もが誰がクラブを牛耳っているかを知っている。フロレンティーノはその過程で多くのことを学び、権力を蓄積させ、その使い方をブラッシュアップしてきた。

だから権力者としての威厳がない会長なら決して許されないだろうリスクの伴う決断を下すこともできた。前述のC・ロナウドとS・ラモスの退団はその好例だ。

同様の理由で、目先のことばかりに目を向け、右往左往するサッカーという環境の中で、マドリーは中長期的なスパンで物事を考えることができた。緊急性よりも最善の利益を優先させる戦略的価値の高い視点だ。

どんなに将来を嘱望されても、若手選手の獲得はうまくいかない場合がある。しかしその若さゆえに、売却する際に価値を見出すことが可能だ。成功すれば、メリットばかりで、しかも長期的な活躍が保証される。

マドリーの世代交代がスムーズに進んでいるのはそうした強化戦略の賜物であり、だからこそ背番号9を空位にしてエムバペの加入を待つこともできた。このような忍耐は、サッカーという情熱的なテリトリーではほとんど英雄的行為ですらある。

ウェンブリーよ、ライトアップして、君より長い歴史を持っているマドリーに光を当ててくれ。

明晰な頭脳と相手を騙す体躯を持ち、荘厳なプレーの賢者であり、去り際も戦略的なトニ・クロースや、カンテラ出身の誇り高きキャプテンにして、マドリーというクラブの奥深さを体現する悲観主義的なDFにして、現時点で5度のCL優勝という金字塔を打ち立てた控えめな男、ナチョにスポットライトを照らしてくれ。

ヴィニシウスの決意、ルカ・モドリッチの威厳、ベリンガムの気品にも。この映画のようなマドリーに光を、もっと光を。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳●下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。

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