語り始めた92歳の被爆者 原爆投下から79年 封印した記憶 生き残った後ろめたさ「辛くてもいつかは伝えなければ」ウクライナ侵攻で決心

原爆投下から79年近くが経ち、初めて自らの体験を語り始めた被爆者の男性がいます。男性は92歳。長年、封印してきた原爆の記憶を今なぜ、伝えようと思ったのでしょうか。

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被爆者 才木幹夫 さん(92)
「靴を履こうとかがんだ瞬間です。8時15分。強烈な光、真っ白な光に包まれたと思ったら、建物が崩れて真っ暗になりました」

被爆者の 才木幹夫 さん、92歳。4月から自らの被爆体験を語り始めました。

原爆投下から79年近く語ることのなかった記憶。一方で「当時を知る被爆者が伝えなければ」という思いも年々高まり、92歳で初めて証言者になりました。

才木さん(被爆体験証言者の委嘱書交付式/4月)
「踏ん切りがつかなかったんです。90の年を聞いて、こりゃ、やらなければならないと」

被爆したのは13歳。「一中」と呼ばれた広島第一中学校の2年生の時でした。

才木さん
「我が家はですね、ちょうどこのトンネルから出たところと、広島駅から来た大きな交差点ですね、この交差点のど真ん中が、ちょうど我が家だったんです」

爆心地から2.2㎞の自宅で被爆しました。予定では「建物疎開」の作業のため、爆心地近くに行くはずでしたが、才木さんのクラスは急きょ休みになっていました。両親やきょうだい全員が一命を取り留めました。今も鮮明に焼き付いているのは中心部から比治山を通って逃げてくる被爆者の姿です。

才木さん
「集団がもそっと降りてくる。うごめいていているのが人間だったんですよ。みんな顔が真っ黒で髪の毛は縮れてね、皮ふも垂れ下がっているような状態でしたね。男女の区別もつきません。その集団の姿をどう表現していいかね、今も言葉がないくらい、あわれな状態ですよね」

翌朝、比治山で見た光景も忘れることはできません。

才木さん
「ここに出てきて驚いたのが、両方にずっともう黒い物体が並んでいる。全部、人間の死体なんですよね、両側にね、降りるまで死体が続いているんです」

一中では、生徒たち353人もの命が奪われました。自分も行くはずだった「建物疎開」に動員され、屋外で直接閃光にさらされていました。

以来、才木さんは原爆を語ることはありませんでした。

92歳で証言者となった被爆者 才木幹夫 さん
「もう紙一重ですよね。我々2年だけが生き延びて、何かそういう生き延びているということに後ろめたさを感じるんですね。本当は原爆は忘れたかったですね。ええ。触れたくなかったですよね」

若い頃、東京でプロの声楽家として活動していた才木さん。今も毎週、コーラスグループの指導を続けています。

27歳で広島に戻ってからは開局して間もないRCCに入社しました。RCCではディレクターとして数々の音楽番組を制作。世界的指揮者、小澤征爾 さんの番組を作り、今も続く年末の音楽イベント「第九ひろしま」を立ち上げました。

原爆の記憶を封印して仕事に邁進しました。

コーラスグループのピアノ伴奏者
「優しくて穏やかで。とても優しい方」

コーラスグループのメンバー
「証言するのは悩んでいたみたいだけれど、勇気をふるってよくされたなと思います」

いつかは伝えなければー。踏み出せずにいた才木さんが証言者になろうと決めたのは、ロシアのウクライナ侵攻がきっかけでした。

才木さん
「もう、これを逃してはいかんと思って、率直にありのまま話さなければいけないなと。もう絶対に戦争はやめなければいけない」

才木さん
「こんにちは」

この日は証言者になって5回目の講話です。

才木さん
「当時、どれだけむごい惨状だったのかは伝えたいと思っている。でも、それが分かるかどうかよね、あまりにも状況が違うから。まだまだリラックスして話ができないから。これからですよ」

資料の使い方やしゃべり方、どうすればより伝わるのか、才木さんは考え続けています。

証言を聞くのは大阪から修学旅行で来た中学3年生です。原爆の惨状を語ったあと、平和の大切さを訴えました。

才木さん
「世界の人は核の恐ろしさを知りません。実感しておりません。私たちは本気になってその恐ろしさを知らせていかなければならないと思うんですよ」

証言を聞いた中学3年生たち
「今までYouTubeとか動画でしか被爆体験を聞かなかった。自分が次の世代にも語り継いでいかないとなと思いました」

「今の平和な環境や時代がどんなに大切かわかった。これからもこの平和な時代を続けていかなければならないと思いました」

92歳で証言者となった被爆者 才木幹夫 さん
「伝えるの難しいね。もっともっと、ぼく自体が学習しないといけない。ぼく自身のことも学ばないといけない。まだ今からですよ」

1回1回の講話を大切に、これからも語り続けるつもりです。

◇ ◇ ◇

才木さんは、いつかは語らなければという思いと、一方で思い出したくないという辛い記憶の間でずっと悩んでいましたが、世界情勢を受けて決心し、語り始めたといいます。

79年前のことを伝える難しさを実感しているとのことで、講話原稿を読むのではなく対話するように語る方がよいのか、視覚的に分かるように写真や資料を増やすべきか、常に考えているといいます。より正確に伝えるため、一中の同窓生にも会いに行って話を聞いたりして学んでいるといいます。才木さんの行動には我々も勇気をもらう気がします。

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