「太平山には以前、遊園地があった」栃木・謙信平 ピーク時は1日数百人が利用

1991年11月に市民が撮影した遊園地の遊具(提供)

 【栃木】「太平山には以前、遊園地があった」。市民団体が昨秋開いた地域おこしイベントでそんな話を耳にした。1990年代まで山頂付近の謙信平に遊具があったという。現在は茶店が並ぶだけでその面影はなく、記録も少ない。40代以上の市民が懐かしむ遊園地の姿を探ってみた。

 市民団体から聞いた遊園地の敷地は現在、駐車場になっている。隣の茶店「栃木家」で育った松長幸子(まつながさちこ)さん(63)を訪ねた。

 「桜の季節や夏休みは子どもでにぎわっていた。遠足も多かったんです」。松長さんが幼いころの家族写真を見せてくれた。「太平遊園地」「こどもゆうえんち」の看板と昭和の雰囲気の木製遊具が写っている。

 遊具は(1)鬼とタヌキの的当て(2)車の乗り物(3)ゾウのメリーゴーラウンド(4)前後に揺れる馬の乗り物-の4種類。的当ては玉が的に当たると鬼とタヌキが「ウー」と音を鳴らし、手を上下させた。車はカーブになると速度が上がり、子どもを喜ばせた。

 これらは旭町の神明宮の敷地内から移築したものだったという。経営者だった薗部町2丁目、佐藤文子(さとうふみこ)さん(82)にも話を聞けた。

 佐藤さんによると、母の故高山(たかやま)つねさんが神明宮の敷地を借りて営業を始めたのは1950年代前半。小学4年生だった佐藤さんは「放課後は毎日夜まで遊んでいました」と懐かしむ。

 経営上の理由から5年ほどで太平山の市有地へ移った。ピーク時は1日数百人が利用し、パートも雇うほど。だが娯楽の多様化などで徐々に客足が遠のき、週末や遠足時のみの営業となった。後を継いだ佐藤さんが90年代前半に閉園を決めた。

 60年代ごろの謙信平にはサルやシカの小屋もあり、夏は乗馬体験ができた。錦着山麓の市民プールに入ってから、太平山に登って遊ぶのが定番だったという。現在の太平山は年配のハイキング客に人気だが、当時は多くの子どもの笑顔が集まっていた。

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