ジョーダンの初優勝から丸33年。“神様”が「7年間の苦闘」を経て「ワンマンチームの汚名を返上」するまで<DUNKSHOOT>

選手、コーチ、フロントと長きにわたってリーグに多大な影響を及ぼしたジェリー・ウエストがこの世を去り、ファイナル第3戦でボストン・セルティックスが優勝に王手をかけた現地6月12日。激動の1日となったNBAだが、ちょうど33年前の同じ日も、歴史が動いた転換点として記憶されている。

1991年の6月12日は、シカゴ・ブルズとロサンゼルス・レイカーズによるNBAファイナル第5戦が行なわれた日。“神様”マイケル・ジョーダンが初めて王座に就いたメモリアルデーだと、現地のバスケメディア『Ballislife.com』が伝えている。

1984年にNBA入りしたジョーダンは、1年目からエースとしてチームをプレーオフに導くも、最初の3シーズンはすべて1回戦敗退。4年目に壁を破ったが、ここから3シーズンはいずれもデトロイト・ピストンズに道を阻まれた。

迎えたキャリア7年目の90-91シーズン。ジョーダンは5年連続の得点王と2度目のMVPに輝き、スコッティ・ピッペン、ホーレス・グラントら役者が揃ったチームも当時の球団新記録となる61勝をあげてイースタン・カンファレンスの第1シードを獲得。

プレーオフも順調に勝ち上がり、カンファレンス決勝では宿敵ピストンズを4連勝で圧倒し、初のファイナルに駒を進めた。
最終決戦で相まみえたのは、80年代に5度の頂点に立ったマジック・ジョンソン擁するレイカーズ。ブルズは初戦こそ2点差で落とすも、第2戦以降は破竹の4連勝で決着。6月12日の第5戦は、ともに48分フル出場を果たしたジョーダン(30得点、10アシスト、5スティール)とピッペン(32得点、13リバウンド、5スティール)の活躍で108-101と接戦をモノにした。

悲願のタイトルを手にした直後、歓喜のシャンパンファイトに沸くロッカールームで大事そうにチャンピオントロフィーを抱き抱えたジョーダンは、「誰もこれを自分から奪うことはできない。7年間の苦しい闘いだった。しかしワンマンチームという汚名もこれで返上できるはずだ」と感慨深げに語った。

以降、ブルズはジョーダンの一時的な引退を挟んで2度の3連覇を達成。90年代に一大王朝を築いたが、その幕開けとなったのが33年前の今日だった。

構成●ダンクシュート編集部

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