特急やくも381系車両、42年前の一番列車を運転した山口貴嗣さん「山陰の鉄道の歴史を変えた」 15日、定期運行終了

出雲市発一番列車を運転した当時を振り返る山口貴嗣さん=米子市弥生町、JR米子駅

 JR伯備・山陰線の特急やくもで活躍する現役最後の国鉄型特急電車381系が、15日で定期運用を終える。42年にわたり陰陽連絡の主力として活躍した車両に対する思い出を関係者に振り返ってもらう。

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 1982年7月1日は今も忘れない。381系やくもの出雲市発一番列車のハンドルを握った日だ。性能が従来より格段に向上しており「それは良い車両だった」と感慨に浸る。

 55年に国鉄に入り、山陰線や伯備線などを走る蒸気機関車の機関士や、ディーゼルカーの運転士として勤務した。当時の山陰地区の国鉄路線で電車は走っていなかったが、82年のくにびき国体開催に合わせて伯備線と山陰線の一部区間の電化が決定。381系の試運転が始まり「当時、電車は都会の乗り物という印象が強かった。381が来て誇りに思った」という。

 電車の運転は経験がなく不安だったが、単線で速度制限が多い区間でもスムーズに進む車両に驚きと感動を覚えた。

 半径300メートルの急カーブでも従来より時速15キロ程度速く走行できた。ディーゼルカー時代のやくもで、時速60キロほどしか出なかった鳥取と岡山の県境に位置する伯備線の谷田峠(たんだだわ)も時速80キロに迫るスピードで走り「エンジン音もなく、すいすい上る。爽快だった」と懐かしむ。

 一番列車では米子駅から新見駅(岡山県新見市)まで運転した。ホームは見送る人であふれ、安全を考慮して加速を緩くした記憶がよみがえる。山陰初の特急電車の物珍しさに線路際まで近寄る人も多く、警笛を頻繁に鳴らしながら定刻で到着した。

 乗り心地を良くするため急ブレーキを使わない運転を心がけた。運転席が高くなって遠方の見晴らしが良くなったが、足元は見えづらくなったため、駅構内の線路脇にある列車の停止位置標識も381系導入を機に高くした逸話がある。

 今年4月にデビューしたやくもの新型車両273系は「381の技術を生かしつつ進化した車両」と評する。「381は山陰の鉄道の歴史を変えた。引退は悲しいが、よく走ってくれた。本当にありがとう」とホームを出発する381系を見送った。

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