北川、2度の被災に思い強く なでしこ五輪代表「石川に勇気を」

実家でパリ五輪代表入りを喜ぶ北川選手=金沢市内

  ●幼なじみの本社記者には「ほっとした」

 今も家族ぐるみの付き合いがある幼なじみは「プレーで石川を勇気づけたい」と力強かった。14日、パリ五輪のサッカー女子日本代表に選出された北川ひかる選手(27)=INAC神戸。金沢市内の実家で両親とともに吉報に触れた北川選手とは、小学校の頃に同じ選抜チームに所属した間柄だ。上を目指して進学した福島で東日本大震災を経験、元日は金沢で能登半島地震に遭ったディフェンダーは、日の丸を背負ってもなお、あの頃のように頼もしかった。(社会部・山科耀)

 「ほっとした。もうこれが一番」。この日、金沢市内の自宅で父喜則さん(69)、母美千代さん(60)と一緒にメンバー発表を見守った北川選手を訪ねると、そう安堵の表情を見せた。美千代さんは「肩の荷がすっと下りた。大舞台で楽しんできてほしい」と本人以上に喜んでいた。

 北川選手はこれまで、世代別の日本代表に選出され、ワールドカップ(W杯)の出場経験はあるが、なでしこジャパンには定着できない日々が続いた。

 昨夏に活躍の場を神戸に移すと、豊富な運動量や持ち前の攻撃センスでチームの中心に。元日の地震後は「北陸に元気を」「石川と共に」を掲げ、高いパフォーマンスで神戸の皇后杯優勝に貢献した。

 そんなタイミングでチャンスが巡ってきた。2月のアジア最終予選で追加招集されると、闘志あふれるプレーで代表に定着。「やるしかないに気持ちが変わった」と明かす。

 北川選手には、震災への強い思いがもう一つある。2010年、日本サッカー協会が福島に設立したアカデミーに入校。翌年、東日本大震災を経験した。その年、なでしこジャパンのW杯初優勝は避難先の静岡でテレビ観戦した。「あの時は本当に勇気づけられた。今度は自分のプレーで能登に希望を与えたい」と初の五輪への決意を語る。

 7月13日には金沢ゴーゴーカレースタジアムで「能登半島地震復興支援マッチ」が控える。「プロになって石川でプレーをすることも目標だった。たくさんの人に見に来てもらいたい」と自信をのぞかせた。

 これまでけがに度々泣かされてきた北川選手。そこから這い上がろうとする懸命な姿を近くで見てきた。「けがなく大舞台を楽しんできてほしい」。幼なじみが歩んできたサッカー人生を振り返ると、そんな思いが込み上げた。

  ●恩師らも喜ぶ

 地元の恩師や関係者からも喜びの声が上がった。北川選手が所属した菊川FCジュニアの後藤保秀監督(50)は「パリで大好きなサッカーを存分に楽しんでほしい」とエールを送った。チームメートだった野村健吾さん(27)も「いつも通りのガツガツしたプレーで世界一に」と願った。

© 株式会社北國新聞社