原爆とは何か伝え続ける 写真集「被爆2世の肖像」 20年かけ撮影、117人のありのまま

 長崎県出身の写真家、吉田敬三さん(63)=沖縄県石垣市=が、自身と同じ被爆2世の平和への願いを紡いだ写真集「被爆2世の肖像」を出版した。20年かけて全国の2世を訪ね歩き、偏見に苦しむなどしながらも今を生きる2世117人のありのままの素顔を追いかけた。

写真集を出版した吉田さん=沖縄県石垣市(南山舎提供)

 集大成の1冊をつくりあげた吉田さんは「被爆者が自身の体験を語れる時間は残りわずか。親の記憶、体験を自らの思いも込めた言葉で次の世代につないでいくことこそ、私たち2世の大切な役割だと感じている」としている。
 大村市内の中学を卒業後、9年間の陸上自衛隊勤務などを経て写真の道を志した。海外を飛び回り、地雷被害などを取材した。ゲリラ勢力と闘うカンボジアの前線では、現地の兵士に原爆について質問されたが、何も語れなかった。
 母親は10歳の時、爆心地から4.5キロの長崎市愛宕町(当時)で被爆。吉田さんが子どものころ、母親は8月9日の平和祈念式典をテレビで見ながら体験を話してくれていたようだが、当時は「また昔の話をしている」とあまり興味を示さなかった。
 カンボジアでの出来事は2世としての役割を深く認識させるきっかけになった。ほかの2世は親の記憶を継承できているのか知りたいと2003年、全国の被爆者団体に手紙を送るなどして撮影の旅を始めた。
 反応は散々だった。ようやく2世を捜し出しても「子どもが学校でいじめられる」などと、10人に声をかけたら9人に拒まれた。「原爆がうつる」と就職を断られたつらい過去を明かした男性、「娘が生まれつき視覚障害者なのは、自分が被爆者の子だから」と大声で泣き出した女性-。差別や偏見に苦しむ姿も目の当たりにした。
 自宅や職場、結婚式を挙げた教会、被爆地の象徴でもある浦上天主堂や原爆ドームの前など、2世それぞれの思い思いの場所で撮影した。今年2月までに31都道府県で130人超をモノクロフィルムに焼き付けた。
 写真集にはこのうち、吉田さん自身を含む27歳~69歳(年齢は撮影時)の117人を収録した。1人で、あるいは夫婦でカメラにほほ笑んだり、被爆者である親や自身の子ども、勤務先の学校で教え子たちと一緒に写ったりしている。
 本人のメッセージも掲載。広島市の女性=撮影当時(35)=は、撮影に応じた理由をこうつづった。「戦争がいかに悲惨なことであるかを知るということは、同時に平和がどれほど貴重で大切なものかというのを知ることでもあると思います。写真がそれを考えるひとつのきっかけになってくれたら、と思います」

写真集の1枚。「命のリレー」を表現するため被爆者の父の遺影を持ち、勤務先の高校で娘と納まる男性=2011年7月、熊本県立湧心館高

 2世は親の記憶を継承できているのか-。聞き取りの結果、親から直接、被爆体験を聞いていた2世は半数に満たなかった。親には「自分の被爆で子どもに何かあったら」といった不安などが、2世には「つらい体験を思い起こさせるのでは」といった思いなどがあった。近い関係ならではの難しさも感じたという。
 「被爆者なき時代」が近づき、2世自身も高齢化が進む。吉田さんは被爆者である親の姿を見て育った2世の自覚を促すとともに「(長崎、広島でなくても)近くに被爆者や2世はいる。遠い昔話、別世界のことではなく、隣人として差別なき関心を持ってほしい。原爆とは何か伝え続けることが、過ちを繰り返さない第一歩になると信じている」と社会にメッセージを送る。
 B5判、234ページ。2750円。問い合わせは南山舎(電0980.82.4401)。

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