「皮膚がベロンと...」黒こげの焼死体・被爆者の姿を漫画で伝える「川滝少年のスケッチブック」作家・小手鞠るいさんと父が次世代に託す戦争の記憶【岡山空襲】

蒸気機関車が機銃掃射をうける様子を描いた漫画。(【画像①】)親しみを感じるタッチですが、描かれているのは「死」が間近に迫る瞬間です。

機銃掃射をうけ命からがら逃げた日の記憶

この漫画を描いたのは、岡山市北区の川瀧喜正さん。現在、アメリカニューヨーク州で執筆をつづける作家・小手鞠るいさんの父です。(【画像②】は幼少期の小手鞠るいさんと父、川瀧喜正さん)

川瀧喜正さんは、戦前、戦中、戦後の暮らしをスケッチブックに写しとってきました。

【画像①】は、太平洋戦争末期の一場面。機銃掃射をうける蒸気機関車に、当時列車通学していた川瀧さんは、まさに乗車していたのです。

1945年(昭和20年)7月24日、蒸気機関車に乗っていると、突然「ダダダダーン」という爆音が鳴り響き、窓から外を見るとアメリカ軍機が間近に迫り、操縦席のパイロットの表情まで見えるほど。

川瀧さんは、列車から飛び降り、水田の中を泥まみれになりながら這いずり回って逃れたときの様子も描きました。

川瀧さんのスケッチを裏付ける当時の映像は…

川瀧さんの証言を裏付けるような記録がありました。岡山映像ライブラリーセンターに残る、田園の中を走る蒸気機関車がアメリカ軍機に攻撃をうける映像です。

映像から切り取った3枚の静止画(【画像④⑤⑥】)は、いずれも蒸気機関車を攻撃するアメリカ軍機から撮影したものです。(詳しい撮影場所・日時は不明)

【画像⑥】をよく見ると、蒸気機関車に向かって飛ぶ弾が確認できます。

画面の中央にあるやや黄色を帯びた物体、その右寄りの物体です。蒸気機関車の先頭付近に放たれる光と周りに立ち込める白い煙は、攻撃によるものと思われます。

この列車に機関士や機関助士、多くの乗客が乗っているのです。どんなに恐ろしかったことでしょう。

走る列車から飛び降りて命からがら逃げた川瀧さんは、のちに「本当に生き残ったのは奇跡だ」と語っています。

漫画はSNSで大反響 娘の小手鞠るいさんが「物語」として出版へ…

戦争の恐ろしさを伝える川瀧さんの漫画のコピーを、娘の小手鞠るいさんが何気なくSNSに投稿したところ、大きな反響がありました。

そこで、小手鞠さんは「戦争の悲惨さを、次世代を担う子どもたちに伝えていかなくてはならない」という使命感に駆られ、児童向けの物語として作り上げました。

戦争の証言としても貴重な川瀧さんのスケッチブックを、小手鞠さんが小説として蘇らせたのです。

2023年6月、「川滝少年のスケッチブック」として講談社から出版されたこの本を、筆者は小手鞠さんから託されました。
「なんらかの形で取り上げていただけたら、たいへん嬉しく思います!」と。

あの「6月29日」を前に記事にしたい。そう思ったのでした。

まもなくあの「6月29日」から79年…

1945年(昭和20年)6月29日。
この日のことは「川滝少年のスケッチブック」にも詳細に描かれていました。

岡山空襲です。
6月29日午前2時43分、アメリカ軍による大規模な空襲が始まりました。

川瀧さんは、空襲で焼け野原となった岡山市中心部の画に、こう書いています。
「市内の焼跡の惨状は目をおおうばかり。B29-143機が焼夷弾を雨アラレと落した。空襲警報が出なかった”岡山無警報空襲”と言われている」(原文のまま)

空襲警報がなく、寝ているところを襲われたのです。焼夷弾が降り注ぎ、当時の市街地の63%を焼失。少なくとも1737人の死者が出ました。(2000人以上という説も)

川瀧さんは、空襲の後、岡山駅の貨物倉庫に向かいました。そこで目にした地獄絵が忘れられないといいます。

「ヒエーッ みんな黒コゲだ…」
「空襲で亡くなった人が300体も並べられている地獄図に大ショックをうける!」(原文のまま)

川瀧さんが目にした地獄絵。
その当時の映像が、岡山映像ライブラリーセンターにありました。

【画像⑪】は、川瀧さんが焼け野原の中に描いたデパート、天満屋。

【画像⑫】の画面上の中央にある白っぽい建物は岡山駅です。
川瀧さんは、この岡山駅でこの年の8月、さらに悲惨な歴史を目撃することになりました。

「何をされたら、あんなふうに、皮膚がベロンと、はがれるのだろう」

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。
やがて、岡山駅へ入る列車に顔や手が焼けただれ、担架で運ばれる人の姿が増えてゆきます。
被爆者です。

その姿を見た川瀧さんは「何をされたら、あんなふうに、皮膚がベロンと、はがれるのだろう」と不思議に思います。

当時は、まだ原子爆弾が人にどのような影響を与えるのか、わかっていませんでした。

1945年8月9日、長崎にも原爆投下。
そして、8月15日、敗戦。

あれから79年が経とうとしています。

筆者は、RSK山陽放送に入社以来、岡山空襲をはじめとする戦争の証言を直接取材する機会がたびたびありました。
けれど、いま、戦争を語れる人はとても少なくなっています。

岡山映像ライブラリーセンターには、RSK山陽放送の歴代の記者たちが取材した「戦争の証言」がたくさん残っています。
これから先は、そうした証言の記録を頼りに当時に思いを馳せることしかできなくなるのです。

いま、私たちにできることは、折に触れてこうした歴史があったことを思い出し、悲しい歴史を繰り返さないためにはどうしたらよいのかを自分ごととして考え、次の世代に伝えていくことです。

川瀧喜正さんと小手鞠るいさんが次世代に託す「戦争の証言」が、これから先も受け継がれてゆくことを願います。

※「川滝少年のスケッチブック」の原画は、9月8日から11月17日、岡山市北区の吉備路文学館で開かれる特別展 「小手鞠るい 本の世界」で展示されます。

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