「ごめんなさい、ごめんなさい」原爆の父・オッペンハイマーが涙を流して被爆者に謝罪 なぜ今、明らかに…【広島発】

とめどなく流れる涙。繰り返される謝罪…。原爆の開発を率いた科学者が、非公開で被爆者に面会した様子を証言した映像が残っていた。アカデミー賞受賞映画「オッペンハイマー」に導かれるように事実は明かされた。

60年前、通訳の女性が見た光景

原爆の父と呼ばれる科学者・ロバート・オッペンハイマー氏が、原爆投下から19年後の1964年に非公開で被爆者と面会し謝罪をしていたことが明らかになり、その証言映像が公開された。映像は2015年に撮影され、NPO法人「ワールド・フレンドシップ・センター」が保管。証言したのは、当時、通訳を担当した故・タイヒラー曜子さんだ。

「オッペンハイマー氏は涙ぼうだたる状態になって、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、本当に謝るばかり」

第2次世界大戦中、原爆の開発を主導した科学者・オッペンハイマー。戦後、1960年に来日したが、被爆地広島を訪れることはなかった。

4年後の1964年、広島・長崎の被爆者25人が核兵器廃絶を訴えるため世界8カ国をめぐり、アメリカも訪問。その際、非公開でオッペンハイマーと面会したことを示す資料がウィルミントン大学平和資料センターに残されている。通訳として立ち会った故・タイヒラー曜子さんは、当時の様子を「核開発をしたこと自体をものすごく後悔していた」と語った。

映画の公開で「証言の重大性」認識

60年前の出来事を9年前に証言した映像の存在。なぜ今、明らかになったのだろうか。

NPO法人「ワールド・フレンドシップ・センター」の立花志瑞雄理事長は「通訳のタイヒラーさんも事の重大性というのを当時は認識していなかった。つまるところ、オッペンハイマーの映画が公開されたということに尽きると思うんですね」と、このタイミングで証言映像を公開した理由に触れた。

2024年3月、日本で公開された映画「オッペンハイマー」。科学者の人生と、原爆開発の裏側を描いた作品である。アメリカのアカデミー賞で7部門を受賞するなど注目された。映画の中で、オッペンハイマーは核開発への激しい後悔を見せる。

広島での上映は、公開から3カ月経った今も続き、市民の関心が高い作品だ。

“謝罪”の事実をどう受け止めるか

さらに、オッペンハイマーの孫のチャールズ・オッペンハイマー氏が講演やドキュメンタリーの撮影のために来日し、6月1日に広島市中区の平和公園を訪れた。

チャールズ氏は被爆者・小倉桂子さんとも面会。小倉さんは「通常兵器と核兵器の明確な違いを一般の人がきちんと知ることが大切」だと伝えた。

別れ際、チャールズ氏は「世界がもっと平和になってくれることを願っている」と小倉さんの手帳にメッセージを書き記した。

その後、チャールズ氏は東京で会見を開き、争いが続く世界に向けて「今こそロバート・オッペンハイマーのアドバイスに耳を傾けるべきである。軍備競争などをしなければ、今のような核兵器の危険にさらされる状況にはならなかったはず」と訴えた。

原爆投下から79年の2024年、改めて注目される「原爆の父」の発言。立花理事長は「事実として、オッペンハイマーさんが被爆者に会って『ごめんなさい』と言ったことを知っていただく意義。それをどう受け止めるかはその事実を知ったお一人お一人が考えていただくことかなと思うんですね。国家の謝罪についてどう思うのか、考えるきっかけの一つになるのではないでしょうか」と話す。

実際には「国家の謝罪」ではなく、オッペンハイマーと被爆者の言わば「国民から国民への謝罪」であるが、それが行われたという事実をどう考えるかということだ。
「謝罪があって、和解があって、未来がある」と考える被爆者もいれば、「もういいですよ。未来志向でいきましょう」と考える被爆者もいる。立花理事長の発言にあるように、一人一人が考えることが重要だ。世界情勢が緊迫化する中、第2のヒロシマ・ナガサキを生まないために声を上げ続けなければならない。

(テレビ新広島)

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