<いまを生きる 長崎のコロナ禍> イメージと違う大学生活 「忍耐の日々」も前向きに

 自由を謳歌(おうか)し、学びや体験を深めるはずの大学生活に、新型コロナウイルス感染症はさまざまな制約をもたらしている。オンライン講義に移行し、学友と会って話せない。留学機会が失われた-。収束時期も見通せない、そんな苦境においても、前向きに歩む学生たちに近況を聞いた。
 今春、京都市内の私立大に進学した大内礼真さん(18)。県立長崎北陽台高ではラグビーに明け暮れたが、最後の1年は県高校総体もなく、クラスター(感染者集団)発生による休校も経験した。「コロナに振り回された。ラグビーをできない時期が一番つらかった」と振り返る。「少しは落ち着くかな」と期待し新生活を始めたが、大阪で感染が急拡大。京都にも緊急事態宣言が発令された。
 大学の講義は対面とオンラインが半々。学内では感染が散発的に起きている。古里を離れて2カ月。友人は増えたが、3人以上で食事をしたことはない。にぎやかだったラグビー部時代と正反対の生活は「忍耐の日々ですね」。
 いずれは実家の寺を継ぐつもりだ。イメージと違うキャンパスライフだが、「こういう経験を乗り越えてこそ、立派な僧侶になれる」と考えている。

 長崎大多文化社会学部2年の小室花恵さん(19)は昨春、岩手県の実家を離れた。全国でも珍しいオランダ特別コースで学ぶためだ。なのに、入学直後から講義はオンライン。留学予定だった先輩たちの渡航は次々と中止になった。
 大学の対応に「不満はない」。ほかの大学に通う友人と話す中で、長崎大は学生の精神的なケアや感染防止策など「相当頑張ってもらっている」と感じる。入学間もない時期に、担当教員が親身に相談に乗ってくれ「心強かった」。
 オランダ留学への思いは揺るがない。「国内だけでなく世界中の感染が早く収まってほしい」と願いながら学び続けている。

留学先のオランダで友人と楽しむ小柳壮平さん(左端、本人提供)


 留学先から戻り、退学の道を選んだ若者もいる。
 長崎市の小柳壮平さん(20)は昨年8月、オランダ南部ブレダにある大学のレジャーアンドイベントマネジメント学部に入学した。日本人は自分一人だけだったが、「若い人がもっと楽しめる環境を長崎に作る」という夢に向け、毎日が充実していた。だが同11月、「5日後にロックダウン(都市封鎖)」というニュースを聞いた。「いったん帰国しよう」。すぐに飛行機に乗った。
 オンラインだけで学ぶのは思ったほど簡単ではなかった。通っていた学部は数人単位で話し合うグループワークが中心。「みんなが次々に話し、音声が途切れて聞き取れなくなる。自分の考えを伝えるのも難しかった」。時差にも苦しんだ。授業の開始は日本の夕方、終わるのは深夜。半年で体も心も消耗しながら「この期間で取れる単位は全部取った」。前期を終え今年1月末で退学した。
 それでも夢を諦めていない。毎日「長崎で楽しいこと」を考え、企画書を書いては関係機関に出向き、メールや電話で連絡を取っている。「後ろ盾もお金もない。でも若さと行動力はある。何一つ形にはできていないけど、挑戦すること、そして自分の考えを持つことの大切さは大学で学べた」。表情は明るい。

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