「映画は人生の先生」 ミニコミ誌連載200回分を自費出版 本田将治さん(82)

「シネマ万津座」を手に持つ本田さん=佐世保市万津町

 長崎県佐世保市を拠点に活動する「佐世保シネマクラブ」代表の本田将治さん(82)=同市万津町=が、映画とともに歩んだ人生をつづった「シネマ万津座」を自費出版した。これまで4千本以上鑑賞した本田さんは「映画は人生の先生であり、映画館は学校でもあった」と振り返る。
 本田さんは同市出身。初めて映画を見たのは1948年の小学4年のとき。父親に連れられて市内の「国際映画劇場」(閉館)に行った。そのとき上映されていたのがジョン・フォード監督の西部劇「荒野の決闘」。スクリーン上に、全く知らない世界が広がっていて、くぎ付けになった。
 以降、続々と公開される西部劇に夢中に。同志社大に進学し、映画研究会に入会した。多くの映画の中でも「荒野の決闘」は特別で、リバイバルされるたびに映画館に足を運んだ。せりふを全て暗記し、各シーンを目に焼き付けイラストも描いたスクラップブックを制作した。
 「この映画の何がいいのだろう」。ずっとその理由を考えていたが、この作品は、従軍したフォード監督が、戦争が終わって最初に手掛けたもので、平和の尊さを伝えたかったのではと気付いた。「話の筋を追うだけでなく、作り手の思いを感じた。この作品が映画を見る目を養った」

 卒業後は商社に入社し、東京都などで勤務。酒も飲まず、マージャンもせず、給料のほとんどを映画と本につぎ込んだ。だが、勤めていた会社が倒産。66年に帰郷した。
 86年に「佐世保シネマクラブ」を結成。93年~2009年に、市民団体のミニコミ誌「元気ネットワーク」で月1回の連載を担当。世界各国の映画に触れ、作品の批評ではなく、その映画を見て自分がどう感じたかという内容を書き続けた。
 2年ほど前、200回の連載を1冊にまとめる構想が浮かんだ。当時の原稿をパソコンで入力し直し、編集・構成は長男の妻が担当した。「シネマ万津座」は当時の連載のタイトルで、本田さんが文字のデザインを手掛けた。
 同書はA5判、448ページ。3月に50冊限定でつくり、家族や知り合いに配った。今年夏にリニューアル予定の万津町公会堂の図書コーナーに寄贈する。本田さんは「こんな映画の見方もあるんだ、と知ってもらえたら」と話している。

本田さんがつくった「荒野の決闘」のスクラップブック。ダンスシーンのイラストも描いた=佐世保市万津町

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