悲しみ癒えることなく 家族や仲間を胸に 継承への決意 雲仙・普賢岳大火砕流から30年

追悼式で遺影を手に献花する遺族=島原市、仁田団地第一公園

 3日、雨が降り続いた長崎県島原市内。「父の偉大さには及ばない」「尊い犠牲の上に立つ教訓を決して風化させない」-。大火砕流でかけがえのない肉親を奪われた遺族、仲間を亡くした消防団員らの悲しみが癒えることはない。
 午後4時8分、消防団の詰め所だった北上木場農業研修所跡(北上木場町)。「父は私にどう育ってほしかったのか。答え探しは一生続く」。犠牲になった消防団員、山下日出雄さん=当時(37)=の次男優樹さん(42)は鐘を鳴らし、遺族らが霧に覆われた普賢岳に向かって黙とうをささげた。
 島原復興アリーナ(平成町)そばの消防殉職者慰霊碑前。「亡くなった父と僕の年齢がもうすぐ同じになる。当時僕は小学1年で、今は娘が同じ学年。30年の節目に親子の年齢が重なり、感慨深い」。大町亮介さん(36)は、犠牲になった消防団員、大町安男さん=当時(37)=の次男。「残された遺族は悲しむだけじゃなく、同じような災害で亡くなる方が出ないよう後世に語り継ぐのが役目」とし、継承への決意を固めた。
 当時から現在まで消防団員を続ける金子宗弘さん(60)=市消防団副団長=は、団員たちに当時の映像を見せたり説明したりして継承に取り組んできている。「先輩方が身をていして犠牲になった。残された後輩の1人として、災害に強い地域をつくり、全国に発信しないといけない」と思いを新たに。
 仁田団地第一公園(仁田町)で5年ぶりに営まれた追悼式。九州管区機動隊佐世保小隊に勤務していた樋口隆洋さん=当時(26)=を亡くした兄の常洋さん(58)は「正義感の強い、あいつらしい最期だった」と振り返る。「弟は一度は民間企業で働いたが、刑事に憧れ警察官に転職。『定点に残っている報道陣を見てくる』と言い残して出動したと聞いている」。責任を全うした弟を追想した。


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