引退表明の松坂大輔に聖地・甲子園で唯一投げ勝った男「途中経過を気にしてました」

桧山に2ランを浴びた松坂

【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】野球の聖地とされる甲子園。この舞台で数々のプロ野球選手も高校球児として、プレーしている。その中でも甲子園の申し子とされる一人。7日に西武から今季限りでの引退が発表された松坂大輔投手(40)の名前を外すことはできない。

実は松坂は甲子園で1度だけ黒星を喫している。高校時代は1998年の春夏連覇で11勝無敗。10完投6完封と漫画のような成績を残した。だが、プロ初の聖地では阪神の杉山―J―F―Kのリレーに屈した。

その試合は阪神がリーグ優勝した2005年5月18日。2回、桧山進次郎に中越え2ランを浴びるなど、8回3失点で完投負けだった。負けたら外出しないのがポリシーの松坂は、神戸市内の球団宿舎で悔しい夜を過ごした。

当時の印象を現在でも強く持っているのは、当時の阪神先発・杉山直久(40=現オリックス1軍マネジャー)だ。大学を経てプロ入りしたが、松坂とは同じ昭和55年生まれ。6回無失点で「松坂世代」のキングとの投げ合いを制した。

甲子園で唯一、松坂に土を付けた投手は杉山。引退が決まった今、この事実は未来永劫変わらない

松坂が中日に移籍し6勝を挙げた18年、杉山は「松坂が甲子園で投げる時は、内心ドキドキしてましたよ。松坂、負けるなって思って途中経過を気にしてました」とジョーク交じりに話していた。この気持ち、すごく分かる気がする。

松坂はその後、西武時代の06年6月9日に1失点14奪三振の完投勝利で阪神に「リベンジ」。8回にはダーウィンからプロ1号本塁打を左中間に叩き込み「甲子園で勝てたのもうれしいけど、打てたのはもっとうれしい」と声を弾ませた。

中日時代は18年9月13日の38歳の誕生日を松坂自ら祝った。5回1失点で現役最後となる日米通算170勝目を甲子園で記録。同級生・杉山の“記録保持”はもとより、キャリア最後の白星を聖地で挙げたことに縁を感じる。

メットライフでも、ナゴヤドームでもなく松坂に最も似合うのは甲子園のマウンド。そう思っているのは僕だけではないと思う。

☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。

© 株式会社東京スポーツ新聞社