台湾記者が見た侍ジャパン 「忠誠心でメンバー選んだ稲葉監督」「高い政治力で金メダルつかんだ」

練習時には打撃投手を務めることもあった稲葉監督

日本の悲願達成をアジアの野球強国はどう見たか。東京五輪・野球日本代表の侍ジャパンが正式競技になった1992年バルセロナ五輪以降、初の金メダルに輝いた。一方、今大会でメダル奪取の期待がかけられながらもコロナ禍の影響で世界最終予選参加を断念せざるを得なかったのが、WBSC世界ランキング2位の台湾だ。隣国のフィーバーぶりをヨソに台湾の人気スポーツジャーナリスト・雷明正記者が一歩引いた冷静な目で「海外視点の侍ジャパン」を徹底検証し、特別寄稿した。

東京五輪は台湾でも大変な盛り上がりを見せていた。蔡英文総統が連日のようにSNSで代表選手たちを鼓舞するメッセージを配信するなど、政界全体も応援を扇動。ネット上も「東京五輪」や「頑張れ、台湾」の関連ワードであふれ返っていた。台湾は金2個、銀4、銅6と史上最多記録を更新する合計12のメダルを獲得。今もその余韻が冷めやらない。

ただ、やはり東京五輪に野球台湾代表が参加できなかったことは、いまだに残念に思う。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、6月中旬に台中で開催予定だった世界最終予選の開催を返上。ここでシナリオが崩れなければ、台湾プロ野球を統括する中華職棒大連盟(CBPL)はNPBから王柏融(日本ハム)や呉念庭(西武)の野手コンビ、右腕・宋家豪(楽天)を呼び寄せ、国内組からも味全ドラゴンズの20歳エース・徐若熙らを加え、えりすぐりの〝最強軍団〟として代表チームを構成するはずだった。

台湾代表は最終予選で東京五輪参加を決め、本大会では表彰台に上れると多くの関係者も確信していたが、メキシコでの最終予選出場を断念した。ただ仮に出場していたとしても、やはり金メダル奪取は難しかっただろう。それだけ今大会における日本の強さが際立っていたからだ。すべての日本の試合を台湾からテレビ観戦した上で率直に感じたことがある。そもそも稲葉監督は東京五輪で金メダルを狙うために「最強軍団」よりも「勝てるチーム」を作ろうと心がけたのではないか。

6月上旬、東京五輪・侍ジャパン代表選手の内定発表の際に稲葉監督が日本国内の各方面から「現状でベストの状態とは思われないメンバーをなぜ選考しているのか」「偏重ではないのか」などと猛批判を浴びたことは台湾にも伝わった。正直に言えば、私の目にも最初はそのように映ったが、それは間違いだった。

選出に疑問符を投げかける声も出ていた山田哲人(ヤクルト)はふたを開けてみればチームトップの7打点をマークし、大会MVP。この山田を好例に、日本の選手たちは緊迫したゲーム展開の中でもまったく動じず、ここぞというタイミングにおいて集中力を高めながら己の力を120%発揮して得点を奪い、守り切る野球の術を知り尽くしていた。こうした選手たちの力を十二分に引き出すことができたのは、何よりも指揮官の「政治力」のたまものだ。

おそらく今大会前、代表選手の選考段階で稲葉監督が重視した1つのポイントは、自分への忠誠心だったとみている。短期決戦では選手と監督、スタッフとの心と心が通じ合っていなければまず勝てない。揺るぎない信頼関係を構築するため、稲葉監督はあえて批判覚悟で一昨年に優勝を遂げたプレミア12のメンバーを主体に代表チームを編成し、東京五輪に臨んだのだろう。だからこそ今大会の侍ジャパンは誰もが「稲葉監督のために」と団結し、頂点へと駆け上ることができたと考えている。

日本の全5戦のうち大半の試合が、どちらかと言えばベンチワークよりも選手主導で勝った内容のように映っている。実際、いくつか稲葉監督には投手交代のタイミングや起用法など不可解な采配も目立った。それでも選手たちが必死に穴埋めし、白星で忘却させたのだから結果オーライだろう。

しかし誤解しないでほしいのは、そうかと言って稲葉監督を断罪しているわけではないということ。選手をやる気にさせる「政治力」も短期決戦を戦う指揮官にとっては必要不可欠なマネジメント能力。それを稲葉監督は今大会で最大限に有効活用し「勝てるチーム」へと仕立て上げ、侍ジャパンを悲願の金メダルへと導いたというのが私なりの結論だ。この稲葉流マネジメント術を台湾も参考にすべきであろう。

メンバーにはとんでもない〝化け物〟が数多くいた。まずはエースの山本由伸(オリックス)。プレミア12でもリリーフとして活躍し、今大会では先発で豊富な球種を駆使しながら安定した投球を見せていた。まさにオールラウンダー。いずれMLBに移籍するのだろうが、どこまで成長していくのか見当もつかない。本当に末恐ろしい投手だ。

それから日本の新守護神を務めた栗林良吏(広島)、リリーフの伊藤大海(日本ハム)も素晴らしかった。実を言えば私はレギュラーシーズンから彼らの新人らしからぬマウンド度胸と投げっぷりに驚嘆し、注目していたが、初の国際試合でもまったく変わらぬスタイルを貫いていたことに再び目を丸くさせられた。

そして野手ではチーム最年少の村上宗隆(ヤクルト)の名を挙げたい。8番打者であることが、もったいないぐらいの活躍だった。21歳とは思えないほどの技術と精神を兼ね合わせている。九州学院高時代から知っているが、同期の清宮幸太郎(日本ハム)とは比較にならないほどに能力が高いことは分かっていた。村上は間違いなく次のWBCで日本のクリーンアップに座ると確信している。

次の国際大会は第5回WBC。2023年開催と目されているが、コロナ禍のため流動的だ。とはいえ稲葉監督の今大会限りでの退任が内定し、新しい指揮官のもと新体制の侍ジャパンで臨むWBCも当然のように「優勝」が求められるはずである。母国開催で断然有利だった東京五輪と違い、アウェーでの戦いも当然視野に入れなければならないだろう。

わが台湾も無論このまま黙ってはいない。侍ジャパンに〝リベンジ〟できる機会を楽しみに待っている。

☆らい・めいせい 1987年6月25日生まれ。台湾・台北市出身。2015年に台湾メディア大手「三立新聞グループ」に入社し、編集兼スポーツ番記者として活躍。18年に中国系メディアで経済番記者を務めた後、19年に今日新聞(NOWNEWS)へ。同紙でスポーツ番野球担当として健筆を振る。今年4月から「CNEWS」で政治部記者としても活躍中。「台湾イレブンスポーツ」でも野球中継の解説者として軽妙なトークを繰り広げ、人気を博している。「最も日本プロ野球に詳しい台湾人記者」としても知られ、風貌から「台湾の六角精児」の異名も持つ。

© 株式会社東京スポーツ新聞社