皿うどん探訪記(中)ソース、「はんぺん」定番に 長崎らしく進化、全国へ

大皿にのった皿うどんと栄養ドリンクの瓶に入ったソースー。多くの長崎県民が懐かしむ光景だ =長崎市竹の久保町、梁川飯店

 多くの人に栄養のあるものを食べてほしいという「恩送り」の理念から誕生した皿うどん。長崎で手に入る新鮮な山海の幸と中華料理が結び付いた独自メニューは人気を博し、わずかの間に郷土料理として定着。ソースをかける食べ方など定番といえる現在の〝スタイル〟を確立、長崎県民に愛される存在へと成長した。
 人が集まる場での出前といえば、大皿にのった皿うどん。一緒に届く栄養ドリンクの瓶入りの「金蝶(きんちょう)ソース」を、たっぷりとかける。あんにはピンクと緑の「はんぺん」がちらり―。こんな光景を懐かしく思う県民は多いだろう。だが、県外では皿うどんに酢をかける方が多数派という。ためらいもなくソース瓶を傾ける県民の姿を目にして、驚く県外出身者は多い。
 現在金蝶ソースを製造、販売するチョーコー醬油(しょうゆ)=長崎市=によると、金蝶ソースは1941年に同市大浦町の醬油店、黒田商店で発売された。生みの親は同店初代の黒田長一さん。油を多用する中華料理に合うソースを開発しようと足しげく中華街に通い、皿うどんを考案した四海樓の陳平順さん(1873~1939年)にアドバイスをもらいながら作り上げた。
 チョーコー醬油の社員は「居留地だった大浦の歴史も関係しているのでは」と話す。商品名は長崎を舞台にしたオペラ「蝶々夫人」に由来する説も。スパイシーで酸味のきいたソースは、甘めのあんがかかった皿うどんと相性抜群。一方、県外で酢をかける人の方が多いのは、脂っこい料理に合うよう中華料理店に酢が常備されていることや、堅焼きそば感覚で食べている人が多いからだとみられる。

時代と共にバリエーションが増えていく金蝶ソース=長崎市西坂町、チョーコー醤油

 出前で栄養ドリンクの瓶にソースを入れるようになったのはなぜか。チョーコー醬油の社員は「配達員が飲んだ栄養ドリンクの瓶を再利用したものでは」と話す。かつて金蝶ソースは業務用だけ販売していたが、時代とともに家庭用や小袋バージョンも誕生。今では栄養ドリンクの瓶を使う店は少なくなっている。
 ピンクと緑の「はんぺん」が記憶にある県民も多いだろう。実はあれは、かまぼこ。「ちゃんぽんと長崎華僑」(陳優継著、長崎新聞社刊)によると、戦時中にかまぼこ板がなくなり、昔まんじゅうの下に敷いていたような薄板に付けて作った。すると形がはんぺんに似てしまい、そう呼ばれるようになった。見栄えをよくするためピンクのものが誕生し、野菜の価格が高騰した時期には、野菜に似せた緑のかまぼこも作られるようになった。
 平順さんのひ孫で四海樓4代目の優継さん(56)は皿うどんの魅力を「大皿でみんなでつついて食べる、だんらんのスタイル」と語る。大皿文化は中国が起源。長崎女子短大で長崎食育学を担当する古賀克彦講師によると、江戸時代に天領(幕府直轄領)だった長崎は身分差が比較的緩やかで、大皿が根付く土壌もあった。長崎らしく進化した皿うどんは、やがて全国へと広まっていく。

 ソース派が過半数

 長崎新聞が情報窓口「ナガサキポスト」のLINE(ライン)で実施したアンケートでは、「皿うどんに何をかけて食べるか」という質問に56%が「ソース」と回答。特に細麺派では6割に達した。
 南島原市の50代女性は「甘みが利いたあんにソースをかけるのが好き」。長崎市から佐世保市に引っ越したという60代男性は「金蝶ソースのかかった甘い長崎の皿うどんが恋しくなる」と回答した。
 一方、初めて食べた皿うどんの甘さに驚いたエピソードも。愛知県出身で佐世保市の60代女性会社員は、約30年前に初めて皿うどんを食べ「甘すぎて残したいけど、せっかく連れてきてもらったので、顔はにこにこしながら食べた」。
 皿うどんでカルチャーショックを味わう人も多いようだ。佐世保市の60代女性は「県外の人が大皿に驚くのに驚きだった」。長崎市の50代女性は「中華料理店で『ソース?』と困惑している人に説明したことも数回ある」。同市の40代男性会社員は「昔、関東の人に皿うどんを振る舞った際、お酢をかけていたのに驚いた。のちのち堅焼きそば感覚ということがわかり納得した」という。
                         (2022年3月12日掲載)


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