長崎県内初「町石」発見 疫病、災害の回復祈願か 1700年前後と推測

金屋神社の「奥御殿」に続く道にある町石。銘文には「壹町目 石橋吉兵衛」と刻まれている=波佐見町金屋郷

 東彼波佐見町金屋郷の金屋神社参道で、町石(ちょういし)と呼ばれる史跡が計5基見つかった。江戸時代の1700年前後のものと推測され、県内で確認されたのは初めてという。疫病や災害からの回復祈願や成就御礼のために同神社に奉納されたとみられ、専門家は「当時の人々の暮らしを語る貴重な文化財」としている。

 長崎歴史文化博物館研究グループ元リーダーで石造物研究家の大石一久さん(70)が、同町教委文化財保護班と取り組んだ別の調査の過程で発見した。大石さんによると町石とは、主に霊山や神社の参道に沿って1町(1丁、約109メートル)ごとに建ち、道しるべとなる石造物。大阪府箕面市の勝尾寺や和歌山県の高野山が有名で、九州の霊山などでも複数確認されているという。
 今回見つかったのは、本殿裏山の「奥御殿」から一の鳥居までを結ぶ参道沿いに計5基。いずれも砂岩製で奥御殿から近い順に「壹町目」「五町目」「七町目」「八町目」「十五丁目」と銘文が刻まれていた。

「壹町目」町石の拓本(波佐見町教委提供)

 町石の形状などから1700年前後に建てられた可能性が高いと推定。「十五丁目」だけは比較的新しく、「町」が「丁」の表記になっていることなどから、江戸時代後期に再建された可能性が高いとされる。江戸期に編まれた「大村郷村記」にも、同神社の奥御殿から一の鳥居までの1町ごとに「標石」を建てたと記されていて、町石のことだとみられる。
 町石は一般的に、当時の社会不安や自然災害などに対して回復祈願や成就御礼のために奉納される。1700年前後には、波佐見を含む肥前地方で天然痘の流行や大雨災害の記録が残っている。大石さんは、こうしたことから町石が奉納された可能性が高いと考えている。「当時の民衆にとって、神社は単なる宗教施設ではなく、疫病や天変地異からの救済を求める場所だった。県内でも珍しい史跡であると同時に、当時の人々の思いや暮らしのありようを示す貴重な文化財だ」と語った。
 同神社の中山公弘宮司(79)は「小さい時分から見ていたものなので、重要な史跡とわかり、驚いたと同時にうれしい。大切なものなので氏子や町教委とも相談して、今後の保存について考えたい」と話した。

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