「足元の戦争体験学んで」 雲仙出身、初の高校生平和大使 羽山嵩裕さん(17)

「後輩たちが足元の戦争体験を学び、高校生平和大使を目指してもらえたらうれしい」と話す羽山さん=雲仙市、吾妻町ふるさと会館

 核兵器廃絶を願い、被爆地長崎の声を発信している高校生平和大使。県立島原高3年の羽山嵩裕さん(17)は昨年夏、雲仙市出身で初めて選ばれた。市内の戦争の記憶を学ぶ本年度の「ふるさと平和学習」(同市教委主催)の開始に合わせ、平和活動への思いなどを聞いた。

 第24代平和大使の一人。新型コロナ禍のため、高校生が集めた署名を国連欧州本部(スイス)へ届けることはかなわなかったが、メンバーでアイデアを出し合い、行動に移した1年間だった。「オンライン署名や(全国の高校生が平和の歌をつなぐ)リレーソング動画の制作など活動の幅を広げることができた」
 長崎市から離れた島原半島では、平和大使の認知度はそう高くない。「四半世紀の長い活動だが、まだ県内に広がりきっていないことの表れだと思う。まずは自分たちの足元から認知を高めないといけない」。一方で、高校の同級生や地元の友だちがオンライン署名したり、動画を見たりしてくれるようになり、身近で成果を感じられた。
 ロシアによるウクライナ侵攻が始まると、抗議の緊急署名を募って外務省に届けたが、侵攻は止まらず、無力感は消えない。「長崎の中心部で高校生が純に平和を願い、署名を呼びかけるからこそ目を引くものがあり、ひいては世論をつくっていく」。微力だけど無力でない-。活動の合言葉の意味をかみしめ、歩みは止めない。
 昨年度から市内の小中学校で「ふるさと平和学習」が始まった。「戦時中に地元であった空襲などを学ぶのはすごく大事なこと。戦争や核廃絶は、無関心でいられても無関係ではいられない」。この学習をきっかけに古里の歴史に関心を持ち、平和大使を目指す後輩が増えることに期待を寄せる。「被爆県に生まれた者として平和について考えてほしい。いろんな地域の、いろんな魅力を持つ高校生が平和大使になると、平和活動の多様性が広がっていく」


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