原田正純さん没後10年

 その人が生涯をかけて研究した水俣病は、熊本県のチッソ水俣工場から排出されたメチル水銀が魚介類に蓄積、それを食べた住民が発病した。暮らしと自然が一体となった地域。おやつがわりに海辺で貝を採って食べていた子どもらから異変はあらわになっていく▲水俣病研究の第一人者で熊本の医師原田正純さんが亡くなって10年。著書「豊かさと棄民たち」には次の一文がある。「環境汚染の被害は、社会的に弱い立場の人々を直撃する」▲ダイオキシン禍のカネミ油症にも取り組み、五島市での自主検診などで患者に寄り添った。多様な症状に加えて水俣病同様、貧困と差別がのしかかっていた▲原田さんを取材した際、こう聞かれた。「水俣病で熊本の地元紙は継続的な報道で重要な役割を担ってきた。カネミで長崎新聞はどうなのか」。油症は集団訴訟が80年代に終結後、報道の“空白期間”があった。途切れず報じる使命が地元紙にはあると言われた気がした▲世界では2億以上の化学物質が登録されている。現在進められている油症の子や孫ら次世代の健康被害の究明は、有害化学物質の後世への影響を示唆することにもなるだろう▲常に弱い立場の人々の側に立ち、教訓が本当に生かされる日まで地元紙として油症事件を見つめ、報じなければと思う。(貴)

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