スリランカ出身の高校球児 言葉の壁越え主将としてチームけん引 「母国に帰ったら野球で人を元気にしたい」

チームを引っ張った相模向陽館の太田モハマド・シャーデュ主将(右端)=大和(金子 悟写す)

 スリランカで生まれ育った高校球児が14日、最後の夏の公式戦を戦った。県立相模向陽館高(座間市)3年の太田・モハマド・ジャーデュ選手(17)。4年前に両親と来日し、言葉の壁を乗り越えて主将として仲間を引っ張るまでに成長した。母国は今、経済危機に大きく揺れる。試合に敗れはしたが、「国が元の姿に戻ったら野球の楽しさを伝えたい」というグラウンドで抱いた夢は続いている。 

 大和スタジアム(大和市)で行われた平塚湘風高との全国高校野球選手権神奈川大会の2回戦。12人で大会初戦に臨んだ相模向陽館高は、一回に10点、二回に5点を失った。

 ただ、4番も務める太田選手はフルスイングに徹した。「きっと最後の試合。後悔したくなかった」。出塁できなかったものの、ヒットを予感させる力強い飛球が外野へ2本飛んだ。結果は0―18の五回コールド負け。それでも「最後にチームの力を出せてよかった」と涙はなかった。

 日本人の母幸子さん(48)と、スリランカ人の父サヒーンさん(55)の間に生まれ、生まれてから13年は現地で暮らした。2018年に兄2人が暮らす日本へ。座間市内の中学校に2年生から転入した。

 クラスの授業から一人離れて日本語を個別に学んだが苦戦した。幸子さんは「友だちもあまりできず、さみしい思いをさせてしまった」とつぶやく。

 「書く練習はできても、(1人では)話す練習はできない」。そんな太田選手の環境を変えたのが高校の野球部だった。

 言葉のイントネーションがずれると、先輩たちがゆっくりと正しい発音を教えてくれた。思い切り打ち、投げる。野球の楽しさを知れたのも上級生のおかげだ。だから、2年生で一時部員2人になってもめげずに続けてこられた。

 3年になると、「努力家でチームをまとめられる」(宇野飛鳥監督)と主将に抜てきされた。この夏も部員不足に悩まされたが「単独チームで出たい」と仲間の考えを一つにし、出場にこぎ着けた。頼もしくなった姿に、幸子さんは「まとめ役になるなんて夢にも思わなかった」と話す。

 卒業後は母国での生活を望むが「この状況じゃ帰れない」。経済危機に陥っているスリランカでは13日に首相が非常事態を宣言。大勢のデモ隊が首相府に流れ込むなど混乱が続く。「きっと大変だろう」と幼なじみの身を案じる。

 「いつかきっと元に戻る」と祈った太田選手は、こう言葉をつないだ。「帰国したら野球の指導者になりたい。楽しさを広めて、いろんな人を元気にしたい」

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