“平和”が揺らいでいる。ロシアのウクライナ侵攻は出口がいまだ見えず、国内では安倍晋三元首相の銃撃事件が発生。力に訴える出来事が相次ぐ中、被爆地の人々は何を考え、何を祈るのか。いつもと違う「原爆の日」を迎えたナガサキを歩き、思いに触れた。
平和祈念像の指さす先は夏晴れ。連日報じられる戦地の空と同じ色だ。白黒写真に切り取られた77年前のあの日も、きっと-。平和祈念式典会場。被爆者代表、宮田隆(82)の「平和への誓い」は、ウクライナへの追悼から始まった。
「2月24日、鳴り響く空襲警報のサイレンは、あのピカドンの恐怖そのものでした」。宮田は5歳の時、爆心地から2.4キロの長崎市立山町(当時)で被爆。目の前で人が絶命した瞬間が脳裏を離れない。
6月、オーストリア・ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議を傍聴。「HIBAKUSHA」と書いたビブスを着て町を歩いた。ウクライナ避難民の親子と出会い、戦争は常に無実の市民を犠牲にすると痛感。式典で「対話による平和外交こそ、新たな時代への挑戦」と言い切り、参列した首相の岸田文雄に「被爆者の心に響く大胆な行動を」と求めた。
終了後、宮田は「無力感もある」と吐露した。それでも、めげずに生き抜いてきた被爆者の姿を伝えたいと考えている。「また、ビブスでも着てまわろうかね。僕にはそれしかない」
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ノーモア・ナガサキ。繰り返してきた叫びが、かつてないほど切実に響く。ロシアは核兵器の使用を示唆。「最後の被爆地」は当たり前ではない。そんな暗い予感さえよぎる。
午前11時2分、長崎日本語学院(佐世保市)の支援を受けるウクライナ避難民の3人は学院で黙とうをささげた。祈ることは「平和」に尽きる。サマルハ・オレキサンダー(16)は「ロシアのリーダーが本当に有能なら絶対に核兵器を使わないと信じたい。使えば、世界を滅ぼす」と不安をあらわにした。3人は日本とウクライナの架け橋になりたいと考えている。
侵攻を機に、未来に目を向けた人もいる。ウクライナにルーツを持つ瀬端セルゲイ(15)=西彼時津町=は「復興の手助けをしたい」という目標ができた。今はロシア語の勉強に励んでいる。9日は県外にいながら、いつもと同じように黙とうした。
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式典会場周辺は例年以上に物々しい雰囲気だった。「被爆者だった父は核の脅しに怒っているだろう」と憤る遺族、被爆体験を語れない罪悪感から「せめて式典に参列を」と願う被爆者-。参列した一人一人の胸中もまた、複雑な思いに満ちていた。
国内唯一のウクライナ正教会の司祭、ポール・コロルーク(56)=東京都=は祈りをささげた。侵攻に大きなショックを受けたが「重要なのは闇の中でも心を守ること」と信じ、在日ウクライナ人をサポートしている。長崎の存在は「闇の中の光」だったという。
長崎は77年間平和を訴えてきた。それでも戦争は起きた。無力感を覚える-。思わずこぼれた記者の嘆きに、抗(あらが)うように首を横に振った。
「長崎には重要なメッセージがある。もっと外に、全世界のために、聞かせてください」
どれだけ世界が変わっても、ナガサキが被爆地である事実は揺らがない。その重みを突きつけられたようだった。式典が終わり会場の解体が進む中、一人、また一人と献花台を訪ねていた。=文中敬称略=