長崎でG7保健相会合

 〈医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである〉-長崎大医学部の銘板に、いや銘板ばかりでなく、おそらく長崎の多くの医療関係者の胸に固く刻まれている言葉だ▲オランダ海軍の軍医として幕末の1857年に来日し、西洋式の医学教育を長崎の地に伝えた医師ポンペ。遺した業績の偉大さと、時を超えて輝きを失わないその名言から、相応の年齢の“おじさん”を勝手に想像していたのだが▲1829年生まれの彼が来日したのは、計算してみたら28歳の時。その4年後の9月に開いたのが、数年前の保存運動が記憶に新しい「小島養生所」だ。ピカピカの青年医師だったのだ▲時は流れて-。新種のウイルスがまたたく間に駆け巡る地球の小ささと、ポンペの言葉通りの医療従事者の献身を、世界の人々が日々深く再認識したこの3年間。来年の広島G7サミットに併せて開かれる保健相会合の長崎開催が決まった▲医療や衛生を所管する大臣が各国で“花形ポスト”になることを手放しで歓迎してよいのかどうか…と迷い迷い書くのだが、間違いなく注目度も重要度も高い会合になりそう▲日本の近代医療が生まれたこの地で、世界は何を語るだろう。(智)

© 株式会社長崎新聞社