<日中国交正常化50年④> 長崎ランフェス実行委企画幹事長 張仁春さん(66) 全国区の冬の風物詩に育てる

手書きの進行表を懐かしそうに見つめる張さん=長崎市新地町、錦昌号

 鎖国時代、数多くの中国船を迎え入れた長崎には、中国人の滞在場所として建てられた唐人屋敷や中国人が創建した唐寺など交流の軌跡を物語る場所が残る。
 市中心部の新地中華街もその一つ。中華街から生まれた長崎ランタンフェスティバルは、今や全国区の知名度を誇り、長崎の冬の風物詩として親しまれている。
 「中華街を知ってほしい」-。こう願う長崎在住の華僑たちの思いから始まった。横浜、神戸の両中華街と比べ、エリアが小さく、知名度が上がらないのが悩みだったからだ。
 街を盛り上げようと、中華街の十字路の中に飾ったランタンと食のイベントを目玉にした夜の祭り「春節祭」が始まったのが1987年。中国獅子舞や龍踊(じゃおどり)を披露したり、近くの湊公園でイベントを開いたりした。
 春節祭を冬の観光イベントにしようと、長崎新地中華街商店街振興組合と市が手を組む形で94年に始まったのが長崎ランタンフェスティバル。現代的で若者が好むオブジェなどが並ぶ中国各地のランタン祭りと趣向が異なる祭りを目指した。イベント部会の責任者となり、中国の古い時代をほうふつとさせる豪華なオブジェを飾り、皇帝パレードや媽祖(まそ)行列の二つのパレードをメインに据えた。
 振興組合と市がアイデアを出し合い、運営する方式。時には衝突することもあったが、中華街の先輩たちの教え通り、「ぶつかったらお互いに一歩ずつ引き、それでもだめなら、もう一歩ずつ引く」と決め、祭りを続けた。「長崎を良くしたい」という同じ思いがあったからだ。県内外の来場者は年々増加し、2018年には過去最多の106万人を記録。長崎観光を代表する市民の祭りに成長した。
 祭りを始めた頃からの合言葉は「100年続く祭りにしたい」-。春節祭から数えて3分の1を超えたが、コロナ禍の影響で2年続けて中止を余儀なくされた。来年こそは、装飾を中心にしたストリートパフォーマンスなどで再スタートしたい。
 大正時代に創業した花火店の3代目。日本の小正月にあたる元宵節に、崇福寺(鍛冶屋町)でともされるろうそくの光がランタンフェスティバルの原点。音のない夜中、オレンジの光を見ると、心が落ち着く。フェスティバルでランタンを見る人たちの幸せそうな顔に重なるからだろう。


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