三ツ瀬の風景 閉山の記憶 “軍艦島”元島民が描いた油絵 博物館に寄贈

久遠プロデューサー(右)に三ツ瀬の風景画を手渡す加地さん=長崎市、軍艦島デジタルミュージアム

 炭鉱の島として栄えた長崎市端島(軍艦島)の元島民、加地英夫さん(90)=ダイヤランド3丁目=が、1974年の閉山時に描いた1枚の油絵を軍艦島デジタルミュージアム(松が枝町)に寄贈した。描いたのは端島の南西約3キロに浮かぶ三ツ瀬の風景。加地さんは「閉山の物語の大事な場所。多くの人に知ってもらいたい」と語る。
 日本の近代化に貢献し、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」を構成する端島。この島で生まれ育った加地さんは高校卒業後、端島炭鉱の工作課で働き、機器メンテナンスに従事した。結婚した翌年の60年には島の人口は5267人に達し、周囲1.2キロほどの小さな島は世界一の人口密度を誇った。
 だがエネルギー革命や輸入炭との競合の波にさらされ、島を取り巻く環境は厳しさを増す。64年に起きた坑内の自然発火が追い打ちをかけ、消火作業のため深部区域が水没。人員整理に伴い、多くの従業員とその家族が島を去った。
 加地さんら島に残った人たちが期待を寄せたのが、三ツ瀬区域の開発だった。65年に着炭。「石炭は出るのかと不安もあった。着炭したときはみんなで喜び合った」と当時を振り返る。機械化の導入で出炭量は増加。72年度には年間約35万トンと戦後最多を記録した。
 閉山が決まり、加地さんは古里の風景を趣味の絵に残した。三ツ瀬の風景を描いた1枚は当時の思いとともに半世紀近く、大切に手元に置いていた。だが「三ツ瀬の歴史がうずもれてしまっている。最後まで掘っていたことを知ってもらいたい」と寄贈を決めた。
 今月2日。同ミュージアムを訪れ、希望や寂しさ、さまざまな思いがこもった絵を久遠裕子プロデューサーに託した。同ミュージアムでは、説明文を付け、年明けをめどに展示する予定だ。


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