“小嶺先生への感謝を胸に” 木藤監督「嫌いだったけれど、今は共感」 国見サッカー12年ぶり全国へ

後半、選手に指示を出す国見高の木藤監督=トランスコスモススタジアム長崎

 何度も衝突して、この人とは分かり合えないとすら思った。でも、亡くなった今は全く別の感情が胸にある。
 「褒めてくれるのかは分からないけれど、ありがとうございますと伝えたい」
 13日に諫早市で行われた全国高校サッカー選手権県大会の決勝。県立国見高に12年ぶりの優勝をもたらした木藤健太監督(41)は、全国切符をつかんだ喜びよりも、国見を全国区に引き上げて今年1月に死去した恩師・小嶺忠敏氏(享年76)への感謝に言葉を詰まらせた。
 「先生の歴史をこのまま終わらせるわけにいかない。何が何でも、先生の思いを第101回大会に連れて行きたいという気持ちで試合をした」
 島原市出身。自らも国見でプレーし、1学年下の大久保嘉人さん(40)らと一緒にボールを追った。近大卒業後の6年間はJリーガーとして活躍。道筋をつくってくれた小嶺氏は恩人だが、時に理不尽で勝利への執着が強い指導には高校生ながら納得できない部分も多かった。
 「あの時、何であそこまで怒られる必要があったのか。あのプレーの何がいけないのか」
 その考えは、現役引退後に恩師と同じ高校教師となり、2018年に母校の監督を任されるようになって少しずつ変わった。
 07年に小嶺氏が去って以降、低迷していた国見。自身の赴任に前後して再び復活への道を歩み始めたが、大一番でどうやっても勝てない。長身FW中島大嘉(現J1札幌)を擁した20年は県の準決勝で敗退。21年は2月の九州大会で優勝しながら、冬は再び県の準決勝で涙をのんだ。
 「自分の未熟さを痛感した。同時に小嶺先生の偉大さも。生徒は勝つために一生懸命やっているけれど、指導者の力不足で成長させてやれない。それがすべてだった」
 常に勝利を求められる名門の看板を背負ってみて、初めて恩師と同じ景色が見えた気がした。
 掲げるサッカーは今も小嶺氏と異なる。生徒の丸刈りをやめさせ、携帯電話の所有を認めたのも小嶺氏の考えに疑問を感じたからだ。一方で勝負へのこだわりや、地域から応援されるチームであるべきという考え方は、将来まで守っていきたい伝統だと確信している。
 「正直に言うと、先生のこと嫌いだなって思っていた。だけど、今は共感する部分が多い。やっぱり好きだったんだなと。先生、ごめんって謝りたいですね」
 国見は全国高校選手権で戦後最多タイとなる6度の優勝を誇る。いずれも小嶺氏が成し遂げた偉業だ。その大きな背中を追って、41歳の教え子は今、全国のスタートラインに立った。


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