島原城跡 「大変」痕跡を探る 2024年の国史跡指定目指し 島原市

島原城跡の本丸と二の丸の間の堀底で、発掘調査をする有識者ら=島原市

 築城当時の石垣と堀が残る県指定史跡「島原城跡」(島原市城内1丁目)の堀底で、1792(寛政4)年の火山災害「島原大変」の噴火に伴う地震の痕跡を探るため、島原市が今月から発掘調査を進めている。 国史跡指定に向けた調査の一環。市は同城が築城400年を迎える2024年の指定を目指している。期間は13日から来年3月末の予定で、当時の地震規模や同城の被害把握が目的。
 旧島原藩由来の史料「肥前島原松平文庫」(県指定文化財)として保管されている島原大変の絵図や古文書の記録などに基づき調査。本丸と二の丸の間の堀底に、トレンチと呼ばれる試掘用の溝を2カ所設け、同市教委担当者や有識者らが地割れ跡などを調べる。
 27日、佐賀大の宮武正登教授(歴史学・城郭史)ら約10人が実地検証した。長さ約16メートル、幅・深さ約2メートルにわたり掘り下げられたトレンチで、露出した地層を確認した宮武教授は、「さらに掘削は必要だが、現状では地割れや断層の痕跡は確認できない」と指摘。
 堀底については「堆積物の状況から被災後、堀底の一部に清掃した痕跡がある。南北に高低差があるシステマチックな水堀で、メカニズム解明も必要」との見解を示した。
 地震で崩落したとみられる石垣の積み直し跡、石材の膨張や突起も確認し「噴火災害の痕跡と史料が残る城郭はほかにない。島原城は歴史的価値があり、今後の調査で興味深いものが見つかる可能性もある」と述べた。
 島原城は、初代藩主の松倉重政が1618年に着手。7年の月日をかけ24年ごろに完成したと伝えられている。城の外郭は東西約350メートル、南北約1200メートル。敷地面積は約42万平方メートル。このうち、本丸、二の丸など計約7万平方メートルが2016年、県指定史跡に指定された。

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